跡部あとべ)” の例文
跡部あとべは坂本が手の者と、今到着した与力四人とをあはせて、玉造組の加勢与力七人、同心三十人を得たので、坂本を先に立てて出馬した。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
美しい娘のおよりは、あまりの事に泣いてばかり居る有樣で、跡部あとべ滿十郎が何も彼も一人で引受けて仕事を運ぶ外はありません。
さくきわで、勝頼父子は、まっ先に敵兵の目がけるところとなって取り囲まれている。その側へ、加勢に走ろうとすると、味方の跡部あとべ尾張守が、反対な方へ逃げ腰で駈けてゆく。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
春琴の家は代々鵙屋安左衛門やすざえもんを称し、大阪道修町に住して薬種商を営む。春琴の父に至りて七代目なり。母しげ女は京都麩屋町ふやちょう跡部あとべ氏の出にして安左衛門にし二男四女を挙ぐ。
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
京大の跡部あとべ博士なども
土井の所へ報告に往つた堀が、東町奉行所に帰つて来て、跡部あとべに土井の指図さしづを伝へた。両町奉行に出馬せいと指図したのである。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
この勝頼が眼には織田の三万は、声のみの虚勢、徳川の七、八千などは、鎧袖一触がいしゅういっしょくにも値せぬ。何をさまで怖れるか、勝頼にはせぬ。……跡部あとべッ、大炊介おおいのすけッ、そちの思案はどうだ、はばからずいえ
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかるにきのふの御用日の朝、月番跡部あとべの東町奉行所へ立会たちあひに往くと、其前日十七日の夜東組同心平山助次郎ひらやますけじらうと云ふものの密訴みつその事を聞せられた。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)