西海さいかい)” の例文
木曾をだにさゝへ得ざるに、關東の頼朝來らば如何にすべき、或は都を枕にして討死すべしと言へば、或は西海さいかいに走つて再擧さいきよはかるべしと説き、一門の評議まち/\にして定まらず。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
寿永じゅえい四年に、平家の一門はことごとく西海さいかい藻屑もくずとなり、今は源家の世となっているのであるから、俊寛に対する重科も自然消え果てて、赦免の使者が朝廷から到来すべきはずであったが
俊寛 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
安政元年十一月四日五日六日にわたる地震には東海とうかい東山とうさん北陸ほくりく山陽さんよう山陰さんいん南海なんかい西海さいかい諸道しょどうことごとく震動し、災害地帯はあるいは続きあるいは断えてはまた続いてこれらの諸道に分布し
時事雑感 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
西海さいかいの合戦にうち負け、囚はれて鎌倉へ下るときに、この天竜川の西岸、池田の宿に泊つて、宿の長者熊野ゆやむすめ、侍従の許に、露と消え行く生命の前に、春の夜寒の果敢ない分れを惜しんだことは
天竜川 (新字旧仮名) / 小島烏水(著)
大倭朝やまとちょう天平宝字てんぴょうほうじねん癸亥きがいがつおいて西海さいかい火国ひのくに末羅潟まつらがた法麻殺几駅はまさきえきに
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
三代のあだを重ねたる關東武士くわんとうぶしが野馬のひづめ祖先そせん墳墓ふんぼ蹴散けちらさせて、一門おめ/\西海さいかいはてに迷ひ行く。とても流さん末の慫名うきなはいざ知らず、まのあたり百代までの恥辱なりと思はぬこそ是非なけれ。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)