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行在所
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あんざいしょ
ふりがな文庫
“
行在所
(
あんざいしょ
)” の例文
北嶺
(
ほくれい
)
より入山あって、
釈迦堂
(
しゃかどう
)
を
行在所
(
あんざいしょ
)
にあてられ、即刻、みことのりを発せられたうえ、坊舎の上に高々と、錦の御旗をお
掲
(
かか
)
げでおざった
私本太平記:04 帝獄帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
こんなやり方は如何にも勝元らしく、
爾来
(
じらい
)
東軍は
行在所
(
あんざいしょ
)
守護の任に当って、官軍と呼ばれ、西軍は止むを得ず賊軍となった。
応仁の乱
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
先年東山道御巡幸のおりには馬籠
行在所
(
あんざいしょ
)
の
御便殿
(
ごびんでん
)
にまで当てられた記念の上段の間の方まで母のお民と共に見て回ることも
夜明け前:04 第二部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
「そういうこともあったなれど、われら恐れず搦め手へ廻り、木戸を焼きはらいなだれ込んだので、
行在所
(
あんざいしょ
)
は煙ぜめよ。……で城は落ちたというものじゃ」
あさひの鎧
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
たとえば後醍醐天皇が一時
行在所
(
あんざいしょ
)
にお
充
(
あ
)
てになった
穴生
(
あのう
)
の
堀
(
ほり
)
氏の
館
(
やかた
)
など、昔のままの建物の一部が現存するばかりでなく、子孫が今にその家に住んでいると云う。
吉野葛
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
▼ もっと見る
吉野朝廷はその本来の都と文化とから離れてかりの
行在所
(
あんざいしょ
)
を山岳の地に据えられたのであるから、どうしてもその政治行動の理想はその本来の都の奪回ということに向かなくてはならぬ。
中世の文学伝統
(新字新仮名)
/
風巻景次郎
(著)
福島の
行在所
(
あんざいしょ
)
において木曾の産馬を御覧になったことなぞ聞き伝えて、その話を半蔵のところへ持って来るのは伏見屋の三郎と梅屋の
益穂
(
ますほ
)
とであった。
夜明け前:04 第二部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
「なんと、
行在所
(
あんざいしょ
)
の釈迦堂におわす天皇は、まことの後醍醐の君ではないぞ。どうやらあれは、
偽
(
にせ
)
天子だわ」
私本太平記:04 帝獄帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
笠置の城へ入らせられ、ここを
行在所
(
あんざいしょ
)
とお定めあそばされた。
あさひの鎧
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
伯耆
(
ほうき
)
船上山の
行在所
(
あんざいしょ
)
——すなわち
後醍醐
(
ごだいご
)
のみかどのもとへ——ここの大戦捷を、
上奏
(
じょうそう
)
するための早馬だった。
私本太平記:08 新田帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
西
筑摩
(
ちくま
)
の郡長、郡書記も出張して来て、
行在所
(
あんざいしょ
)
となるべき家は馬籠では旧本陣青山方と指定された。
夜明け前:04 第二部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
と、即夜、ほかへ
行在所
(
あんざいしょ
)
を求めて、奈良を立ち出でて行ったことか。あわただしさのほど言いようもない。
私本太平記:04 帝獄帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
そのせいか、ずいぶんなお疲れでもあろうに、雲清寺の
行在所
(
あんざいしょ
)
では、帝のおん眉は明るかった。
私本太平記:05 世の辻の帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“行在所(
行宮
)”の解説
行宮(あんぐう(かりみや))とは、皇帝もしくは天皇の、行幸時あるいは、政変などの理由で御所を失陥しているなどといった場合、一時的な宮殿として建設あるいは使用された施設の事を言われる。他に行在所(あんざいしょ)、御座所(ござしょ)、頓宮(とんぐう)とも。
日本の行宮の初出は、神武天皇が東征(神武東征)のとき、吉備国に行宮を建ててこれに居たというものである。すなわち高島宮である。
また、神社によっては行宮を持つものもある。
(出典:Wikipedia)
行
常用漢字
小2
部首:⾏
6画
在
常用漢字
小5
部首:⼟
6画
所
常用漢字
小3
部首:⼾
8画
“行在”で始まる語句
行在
行在処