蕃山ばんざん)” の例文
一、徳川時代の儒者にて見識の高きは蕃山ばんざん白石はくせき徂徠そらいの三人を推す。徂徠が見解は聖人を神様に立てて全く絶対的の者とする。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
上方へゆく目的は、熊沢蕃山ばんざんの門をたたくためだという。蕃山といっても経学をきくためではない、笛をまなびたいのだ、などと気焔きえんをあげた。
熊沢蕃山ばんざん、山崎闇斎あんさい等は、漢学に伴ふ支那中心の思想を清算し、日本の学者たる自覚を獲得すると共に、日本主義に徹底し、日本の国体の尊厳なる所以ゆえん
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
中国の詩を見ても何々調というのがあり、日本でも蕃山ばんざん蜀山人しょくさんじん等近世の教養ある人士の風流の歌曲があって、その遺習は明治以後も一部の人達に残っている。
歌詞とその曲 (新字新仮名) / 信時潔(著)
駒沢と云うのは熊沢蕃山ばんざんをモデルにしたのだと云うような話を聞いたこともあるが、なんだか徳川時代よりも一と時代前の戦国か室町ごろの物語を読むような所がある。
蓼喰う虫 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
近世史上の尊王論そのものが、やはりそうで、徳川時代の尊王論の先駆者たち蕃山ばんざん闇斎あんさい素行そこう、そして水戸学の始祖光圀みつくにらが、時を同じうして四代五代将軍時代に輩出したのも偶然ではない。
尊攘戦略史 (新字新仮名) / 服部之総(著)
七十郎は饒舌じょうぜつになり、上方かみがたを遍歴した話しや、熊沢蕃山ばんざんとの交渉などを、元気な口ぶりで語り続けた。
近江おうみ蕃山ばんざんどのか」