葛飾北斎かつしかほくさい)” の例文
しかし中にはなかなか傑出したものもありまして、葛飾北斎かつしかほくさいのものなどは、版画物にさえまで劣らぬ調子のいいのがあったようです。
文政年間葛飾北斎かつしかほくさい『富嶽三十六景』の錦絵にしきええがくや、そのうち江戸市中より富士を望み得る処の景色けいしょくおよそ十数個所を択んだ。
その時芳年は三十歳、御家人の子に生れて武士の血をけたはずですが、月岡雪斎せっさいに養われ、菊池容斎きくちようさい葛飾北斎かつしかほくさいの風を学んで、心も姿もすっかり町絵師になり切って居りました。
芳年写生帖 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
そこへいくと……浮世絵師とはいいながら、葛飾北斎かつしかほくさいはエライところがありましたよ。
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
葛飾北斎かつしかほくさい水滸画伝すゐこぐわでん揷画さしゑも、誰か又是を以て如実によじつに支那を写したりと云はん。
葛飾北斎かつしかほくさいの『富嶽三十六景』が、絵草紙屋の店頭に人目を驚かしていたのであるが、その地図にある定火消屋敷で、広重が生れ、西の丸のお膝下ひざもとで、名城と名山の感化を受けていたのだと思うと
不尽の高根 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
国貞は天明六年に生れ元治げんじ元年七十九歳を以て歿したればその長寿とその制作のおびただしきは正に葛飾北斎かつしかほくさい頡頏きっこうし得べし。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
父「あすこには葛飾北斎かつしかほくさいが住んでゐたことがある。」
本所両国 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
ここに葛飾北斎かつしかほくさい一立斎広重いちりゅうさいひろしげの二大家現はれ独立せる山水画を完成し江戸平民絵画史に掉尾とうびの偉観を添へたり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
葛飾北斎かつしかほくさいが『東都遊あずまあそび』、『隅田川両岸一覧すみだがわりょうがんいちらん』、『山復山やままたやま』等の如き美麗なる絵本並に無数の摺物は皆これ狂歌の吟咏あつてしかして後これがために板刻せられたるもの。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)