聖観音しょうかんのん)” の例文
一は薬師寺聖観音しょうかんのん、法隆寺壁画などにおけるごとく、直観の喜びの表現を著しい合理化の傾向と結合して遂行せるものである。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
むしろ、苦患くげんを生きてゆかねばならぬ親こそ、ごうの深い者なのだろう。……と思って、須弥壇しゅみだんを仰ぐと、金色の聖観音しょうかんのんの御手に、亡きわが子は、抱きとられているかとも見えてくる。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
たちばな夫人念持仏の厨子ずしを中心にして、左側に百済観音、右側に天平てんぴょう聖観音しょうかんのんが佇立していたが、それを比べるともなく比べてながめながら、しかし結局私は百済観音ただ一茫然ぼうぜんとしていたようである。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
しかるに白鳳以後の彫像(薬師寺三尊、同聖観音しょうかんのん、三月堂本尊、同両脇侍りょうわきじ聖林寺しょうりんじ十一面観音等)になると、上瞼うわまぶたの線はあの、初めに隆起して中ほどに沈み
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
大吉堂のそれは立像丈余の聖観音しょうかんのんであった。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
東院堂の聖観音しょうかんのんがそれである。われわれは黄昏たそがれの深くならないうちにと東院堂へ急いだ。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
薬師寺の聖観音しょうかんのんや法隆寺の壁画は、西域文化の渡来を語るとともに、また統一と創造とに緊張した国民の心の、力強い律動と大きい感情のうねりとを現わしている。盛唐の文化は成熟と完成である。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)