義詮よしあきら)” の例文
こんな父は見たこともないので、義詮よしあきらは父の変化と体の方が気づかわれ、日ごと高倉を見舞って、とかく政務も軍務も手につかなかった。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その後二十年ばかりの中に家集をまとめ、尊氏のあとを継いだ二代将軍義詮よしあきらのもとめで差し出した。それが『草庵集そうあんしゅう』である。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
これより先、足利尊氏は、京都に於てほしいまゝに幕府を開き、征夷大将軍と称し、子義詮よしあきら、孫義満相次いで政権を握つた。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
かと思えば、高度の大熱に、こんこんとして、「基氏もとうじか、何しに来た?」と譫言うわごとに言ったり、また「筑紫つくしはどうした、義詮よしあきらはまだ返らんか」
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
後光厳院の貞治じょうじ二年(正平十八年)に足利義詮よしあきらの奏請で、撰集の勅命が二条為明に下ったが、翌三年十月二十七日、撰定を終えないで歿したため、その後を為世の高足こうそく頓阿法師が承け継いで
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
つたえられるところによると、鎌倉にはいま、尊氏の子の千寿王が、足利義詮よしあきらとなって、京都からくだって来ているという。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
尊氏の寄進状、義詮よしあきら御教書みきょうしょ、清子の仮名文かなぶみ、上杉、細川、足利一族の下知状などである。私はすぐ清子の一通へとびつくように顔をよせた。見事な美しい筆である。
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
どこかで遊んでいた千寿王(後ノ足利義詮よしあきら)と、めかけ腹の竹若が、そこへ呼ばれて入って行った。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
登子の分骨がここへ納められたときの足利義詮よしあきらの下知状もさきに見た古文書こもんじょ中にあって
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)