篆額てんがく)” の例文
そばには二個の大きな碑が建てられて、一方は太政だじょう大臣三条実美さんじょうさねとみ篆額てんがく斎藤竹堂さいとうちくどう撰文、一方は陸奥守むつのかみ藤原慶邦ふじわらよしくに篆額、大槻磐渓おおつきばんけい撰文とある。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
堂は四坪程の広さで、玄白堂と云う篆額てんがくが掛っているが、堂とは名のみのこと、内部なかには板敷もなく、入口にもお定まりの狐格子さえない。
後光殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
日露戦役後、度々部下の戦死者のため墓碑の篆額てんがくを書かせられたので篆書は堂に入った。本人も得意であって「篆書だけは稽古けいこしたから大分上手になった、」
鴎外博士の追憶 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
墓は容易たやすく見附けられた。南向の本堂の西側に、西に面して立っている。「抽斎渋江君墓碣銘ぼけつめい」という篆額てんがくも墓誌銘も、皆小島成斎こじませいさいの書である。漁村の文は頗る長い。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
彼はへりくだる態度を装い、強いて夫人に向って批評を求めた。そこには額仕立ての書画や篆額てんがくがあった。夫人はこういうものは好きらしく、親し気に見入って行ったが、良人を顧みていった。
食魔 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
結婚の記念に、はじめて陶と逢った箱根三ツ石の湖畔に別荘を新築し、これに瀟湘亭しょうしょうていと名をつけた。最初は愛々亭とするつもりで篆額てんがくまで彫らせたが、他人が笑うだろうと思ってやめにした。
湖畔 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
人と成って後確堂公かくどうこうと呼ばれたのはこの人で、成島柳北なるしまりゅうほくの碑の篆額てんがくはそのふでである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)