竹生島ちくぶじま)” の例文
沖の島、多景島、白石——それから竹生島ちくぶじまの間も、著しく引寄せられて、長命寺の鼻から、いずれも飛べば一またぎの飛石になっている。
大菩薩峠:36 新月の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
今の竹生島ちくぶじまは、この時から出来たということを、もう千年も前の人がいい伝えておりました。(古風土記逸文考証。滋賀県東浅井郡竹生村)
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「一緒に京都や竹生島ちくぶじまなどへよく旅行や見物に出かけたりして、仲がよかつた樣であつたぢやアないか?」
泡鳴五部作:03 放浪 (旧字旧仮名) / 岩野泡鳴(著)
沖の島から竹生島ちくぶじまの方に泳いでいくと、波にうつる朱塗の玉垣には、ほんとうにびっくりしました。
この一隊は、琵琶湖びわこをつききり、竹生島ちくぶじまからずっと先の方の岸に船をつけ、それから北の国へ行って、米や芋をたくさん買いいれ、人夫をやとって、それを船にいっぱい積みこみました。
長彦と丸彦 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
橋口君の謡曲うたいは然う古いものではない。竹生島ちくぶじまを一番上げた時大地震が来たというから、未だ三年にはなっていない筈だ。しかし千吉君は勧められ始めてから随分長いことのように記憶している。
好人物 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
折よく竹生島ちくぶじまの竹の菓子箸の新しいのがあつたのが嬉しかつた。
おとづれ (旧字旧仮名) / 長谷川時雨(著)
長浜から竹生島ちくぶじまへ渡って、一世一代の琵琶を奉納せんと志したが、どう間違ってか、竹生島ならぬ多景島たけじま(竹島)に漂着してしまいました。
大菩薩峠:40 山科の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
鍋の祭で評判の江州筑摩神社の如きも、社殿大湖に臨んで竹生島ちくぶじまに向い、今は主神を大御食津神おおみけつのかみとしているが、以前は市杵島姫命いちきしまひめのみことと伝えていた(木曽路名所図会)。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
逢坂山のこちら、滋賀の海、大津の都、三井の鐘、石山の月……竹生島ちくぶじまの弁天様へ舟で参詣もよろしうございます。
大菩薩峠:32 弁信の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
どれが有名な竹生島ちくぶじまで、どれが沖ノ島で、どれが多景島たけじまだか、その辺の知識は皆目かいもくめくらなんですから、米友の風景観には、さっぱり内容がありません。
大菩薩峠:35 胆吹の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
その土のもっこの中からの落ちこぼれが、あの竹生島ちくぶじまや、沖ノ島になって残っているのだそうです。
大菩薩峠:35 胆吹の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
この前のが多景島たけじまで、向うに見えるのが竹生島ちくぶじまだ——ずっと向うのはての山々が比良ひら比叡ひえい——それから北につづいて愛宕あたごの山から若狭わかさ越前えちぜんに通ずる——それからまた南へ眼をめぐらすと
大菩薩峠:35 胆吹の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
弁信を竹生島ちくぶじまへ導こうとして、誤って多景島へ漕ぎつけてしまったのは、もともと一片の義侠心といったようなものからの出発で、本来の目的でも、予定の行動でもありませんでした。
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
竹生島ちくぶじまへ御参詣だなんて言いましてね、長浜から船に乗るって言ってましたが、なにしろ時機が悪いから、もう少し動静を見定めてからにしちゃあどうだね、と忠告してみたが聞きませんね
大菩薩峠:36 新月の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)