稲作いなさく)” の例文
日本の稲作いなさく灌漑かんがい様式は、その発達の跡にかんがみて、明らかに四段階に分かれており、しかも現在なおこの四つの型がならび存している。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
又この水を田に引くと稲作いなさくに害があるので、百姓にとつて此の川は一つの毒川だとつてよい。これを酢川すかは何時いつの頃からか名づけて来た。
念珠集 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
庄内は稲作いなさくの盛な所ですから、藁工品が多く、中に優れたもののあるのは申すまでもありません。特に藁沓わらぐつには様々な形のがあって見事な作り方を示します。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
本来からいへば七月に三回忌の法事をするのであるが、稲作いなさく為事しごとが終へてから行ふことになり、八月、九月、十月と過ぎて、十月のすゑに行つた。
念珠集 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
つまりは田のすくない新開地しんかいち女房にょうぼうたちが、仕事のひまひまに畠の産物を持って、稲作いなさくのいそがしい村々へ売りに行ったので、それにつごうのよいような籠背負かごしょいというものが
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
私は年をとり気力がすでに衰えて、そう多量の仕事を分担することが許されぬが、稲作いなさくの問題だけは、是からもなおすこしずつ考えて行き、必要とならば横合よこあいから口をはさんでみようとしている。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)