真言宗しんごんしゅう)” の例文
旧字:眞言宗
方々と適当な隠れ家を捜し求めた揚句、浅草の松葉町辺に真言宗しんごんしゅうの寺のあるのを見附けて、ようよう其処そこ庫裡くりの一と間を借り受けることになった。
秘密 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
誰がこういう面倒な名を、常民に教えたろうかは次の問題になるが、この点は真言宗しんごんしゅうの僧にでもきけばわかる。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
別当は真言宗しんごんしゅうにして、金生山きんしょうざん龍王密院りゅうおうみついんと号し、宝永ほうえい八年四月、海誉法印かいよほういん霊夢れいむに由り……
悪因縁の怨 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
出家は二十三歳のとき、崇徳すとく天皇の保延ほうえん六年で、真言宗しんごんしゅうである。出家後しばらく京都近くに居り、それから伊勢いせへ行ってしばらく住んだらしく、それから東海道を奥州おうしゅうまで旅した。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
真言宗しんごんしゅうの坊主のいんを結ぶのを極めてはやくするようなので、晩成先生は呆気あっけに取られて眼ばかりパチクリさせていた。老僧は極めてしずかに軽く点頭うなずいた。すると蔵海は晩成先生にむかって
観画談 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
山路にさしかゝると、頂上には小夜峠さよとうげがあつて、そこには子育観音こそだてかんのんが安置されてゐる。その寺は久圓寺といつて、真言宗しんごんしゅうである。本尊の観世音かんぜおん行基僧正ぎょうきそうじょうの作で、身長みのたけ一尺八寸であるといふ。
小夜の中山夜啼石 (新字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
単に天上を意味する農村語であったことはほぼ明らかで、しかもそのダイシは女性であったとも、三十幾人かの子持ちであったとも伝えられて、少なくとも真言宗しんごんしゅうの始祖ではなく
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
布川信次君がその生き残った老女を尋ねて、彼らの記憶する作法や規約を聴き出している。年功と閲歴によって、順に頭役かしらやくに押し上がって行くことは、真言宗しんごんしゅうなどの﨟次制ろうじせいも同じであった。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)