相更あいかわ)” の例文
相更あいかわらずベンケイの応対は旨いもので、流暢りゅうちょうな日本語でやっている。一本気で、ぷんぷん怒っている師匠もを折って
予はめさまし草を以て、相更あいかわらず公衆に対しても語って居る。折々はまた名を署せずに、もしくは人の知らぬ名を署して新聞紙を借ることもある。
鴎外漁史とは誰ぞ (新字新仮名) / 森鴎外(著)
〆縄しめなわ裏白うらじろ、橙、ゆずり葉、ほん俵、鎌倉海老えびなど、いずれも正月に使用するものですから「相更あいかわらず……」といって何事も無事泰平であるように
堀田原から従前通り私は相更あいかわらず師匠の家へ通っている。すると、明治十年の四月に、我邦わがくにで初めての内国勧業博覧会が開催されることになるという。
それらを繰り返して仏の方をも相更あいかわらずやっている。明治十一年も終り、十二年となり、これといって取り立ててはなしもないが、絶えず勉強はしておりました。
しかし相更あいかわらず仕事だけはやらねばならぬから、まずこの方のことを引き締めて掛かることにしました。
当時、師匠東雲の家は駒形町にありまして、私は相更あいかわらず修業中……その十五日の前の晩(十四日の夜中)に森下にいる下職したじょく塗師屋ぬしやが戸をたたいてやって来ました。
師匠はお前が相更あいかわらず家に来てくれるなら何より好都合だとのこと、私に取ってはなおさらのことですから、早速翌日から参る旨を答えますと、親御おやごたちの考えもあろうから
そのうち、兼松も段々人となり、妻をも迎えましたが相更あいかわらず親をば大切にして、孝行息子むすこというので名が通りました。それは全く感心なもので、お湯へ行くにも父親を背負おぶって行く。
私はこうして一方には西洋彫刻のことに心をかれ、一方では自然の物象についてひとり研究しつつ、相更あいかわらず師匠の家に通って一家の生計をいそしんでいるうち、前述の横浜貿易がこの一
との事で、万事私の都合はよろしく相更あいかわらず師匠の家で仕事をしておりました。
しかし、私は、既に世の中に顔を出して来てはおったものの、まだまだ木彫りが行われているという世の中にならず、相更あいかわらずの貧乏でありますから、医師にお礼をしたくてもするわけに行きません。