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相更
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あいかわ
ふりがな文庫
“
相更
(
あいかわ
)” の例文
相更
(
あいかわ
)
らずベンケイの応対は旨いもので、
流暢
(
りゅうちょう
)
な日本語でやっている。一本気で、ぷんぷん怒っている師匠も
我
(
が
)
を折って
幕末維新懐古談:26 店初まっての大作をしたはなし
(新字新仮名)
/
高村光雲
(著)
予はめさまし草を以て、
相更
(
あいかわ
)
らず公衆に対しても語って居る。折々はまた名を署せずに、もしくは人の知らぬ名を署して新聞紙を借ることもある。
鴎外漁史とは誰ぞ
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
〆縄
(
しめなわ
)
、
裏白
(
うらじろ
)
、橙、ゆずり葉、ほん俵、鎌倉
海老
(
えび
)
など、いずれも正月に使用するものですから「
相更
(
あいかわ
)
らず……」といって何事も無事泰平であるように
幕末維新懐古談:43 歳の市のことなど
(新字新仮名)
/
高村光雲
(著)
堀田原から従前通り私は
相更
(
あいかわ
)
らず師匠の家へ通っている。すると、明治十年の四月に、
我邦
(
わがくに
)
で初めての内国勧業博覧会が開催されることになるという。
幕末維新懐古談:25 初めて博覧会の開かれた当時のことなど
(新字新仮名)
/
高村光雲
(著)
それらを繰り返して仏の方をも
相更
(
あいかわ
)
らずやっている。明治十一年も終り、十二年となり、これといって取り立ててはなしもないが、絶えず勉強はしておりました。
幕末維新懐古談:28 東雲師逝去のこと
(新字新仮名)
/
高村光雲
(著)
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しかし
相更
(
あいかわ
)
らず仕事だけはやらねばならぬから、まずこの方のことを引き締めて掛かることにしました。
幕末維新懐古談:30 身を引いた時のことなど
(新字新仮名)
/
高村光雲
(著)
当時、師匠東雲の家は駒形町にありまして、私は
相更
(
あいかわ
)
らず修業中……その十五日の前の晩(十四日の夜中)に森下にいる
下職
(
したじょく
)
の
塗師屋
(
ぬしや
)
が戸を
叩
(
たた
)
いてやって来ました。
幕末維新懐古談:19 上野戦争当時のことなど
(新字新仮名)
/
高村光雲
(著)
師匠はお前が
相更
(
あいかわ
)
らず家に来てくれるなら何より好都合だとのこと、私に取ってはなおさらのことですから、早速翌日から参る旨を答えますと、
親御
(
おやご
)
たちの考えもあろうから
幕末維新懐古談:21 年季あけ前後のはなし
(新字新仮名)
/
高村光雲
(著)
その
中
(
うち
)
、兼松も段々人となり、妻をも迎えましたが
相更
(
あいかわ
)
らず親をば大切にして、孝行
息子
(
むすこ
)
というので名が通りました。それは全く感心なもので、お湯へ行くにも父親を
背負
(
おぶ
)
って行く。
幕末維新懐古談:01 私の父祖のはなし
(新字新仮名)
/
高村光雲
(著)
私はこうして一方には西洋彫刻のことに心を
惹
(
ひ
)
かれ、一方では自然の物象について
独
(
ひと
)
り研究しつつ、
相更
(
あいかわ
)
らず師匠の家に通って一家の生計をいそしんでいる
中
(
うち
)
、前述の横浜貿易がこの一
幕末維新懐古談:36 脂土や石膏に心を惹かれたはなし
(新字新仮名)
/
高村光雲
(著)
との事で、万事私の都合はよろしく
相更
(
あいかわ
)
らず師匠の家で仕事をしておりました。
幕末維新懐古談:21 年季あけ前後のはなし
(新字新仮名)
/
高村光雲
(著)
しかし、私は、既に世の中に顔を出して来てはおったものの、まだまだ木彫りが行われているという世の中にならず、
相更
(
あいかわ
)
らずの貧乏でありますから、医師にお礼をしたくてもするわけに行きません。
幕末維新懐古談:50 大病をした時のことなど
(新字新仮名)
/
高村光雲
(著)
相
常用漢字
小3
部首:⽬
9画
更
常用漢字
中学
部首:⽈
7画
“相”で始まる語句
相
相手
相違
相応
相好
相撲
相談
相槌
相貌
相模