申刻ななつ)” の例文
やがて申刻ななつ少し前、この化物屋敷の興行元、とどろき権三ごんざは黒羽二重の紋付に、長いのを一本落して、蘭塔場の舞台にツイと出ました。
申刻ななつ(午後四時)まで芝居を見物し、飯田町魚板まないた橋から中坂をのぼり、暮六ツ(午後六時)すこしすぎに四谷御門
わけても女湯はガラきで未刻やつ(午後二時)から申刻ななつ(四時)までに入る客というのは、大抵決った顔触れと言ってもいいくらいでした。
お才は申刻ななつ前に丁子風呂から帰った事はない。未刻やつ半頃にはきっとあの銭湯に居るんだ、——ところがあの日は旦那の都合で早く帰った。
ここで落ち合うのは申刻ななつ半(午後五時)出雲屋さんが敵名乗を揚げて、二人が竹光を斬結んだところへ、良助さんが留め女に入って、三味線を
その日も昼頃から始まって、申刻ななつ(四時)前にはかなり草臥くたびれましたが、近頃油の乗って来た新助は、なかなかそうということを言いません。
「朝消し忘れた行灯が、油もさずに申刻ななつ(四時)近くまで点いている道理はありません。変じゃありませんか、親分」
「いや申刻ななつ(四時)に此処で逢おうと誘われているんだ。もうあの日足は申刻半ななつはん酉刻いつつ(六時)近いだろう。敵に後ろを見せるわけには行かないよ」
疲れては乗り、屈託しては歩き、十二里の長丁場を楽々と征服して、藤沢へあと五六町というところまで来たのは、第一日の申刻ななつ(四時)過ぎ——。
三畳から飛出してみると、流しの上の天窓そらまどにほんの少しばかり、申刻ななつ頃の陽が当って、油障子の一部を、カッと燃えるように明るくしているのでした。
馬鹿な主人の総七が、人目をはばかってお粂に逢いに行ってあの路地から話しているのが毎日申刻ななつときまっているんだ。
「日射しも丁度申刻ななつ(四時)だろうな——おれはこの塔の上へ登り度いが、天王寺へ行ってかぎを借りて来てくれ」
「馬道に申刻ななつ(午後四時)時分から先刻さっきまで、師匠の帰りを待っていましたよ。八五郎さんもよく御存じで——」
出て未刻やつ過ぎ申刻ななつ近く参る筈でしたが、お寺からお使いの方が見えて、昼頃の方が御都合がよいというお言伝だったので、取急いで参ったようなわけで——
銭形平次捕物控:239 群盗 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
平次がそこへ着いたのは、ちょうど人の出盛りを越した申刻ななつ(四時)下がり、交通の不便な時代の客で、もうボツボツ帰り支度をする者の多い時分でした。
「半刻ともなりません、申刻ななつ少し前で、お粂が稽古事から帰って、二階へ上がると間もなく、大きな音がしたんで、吃驚びっくりして二三人飛んで来るとこの有様です」
半日油を売った帰りみち、東両国の盛り場に差しかかったのは、かれこれ申刻ななつ(四時)に近い時分でした。
未刻やつ(二時)下がり、やがて申刻ななつ(四時)にも近かろうと思う頃、お勝手口へフラリ人の影がさします。
それから半刻はんとき(一時間)、気まずい時が遅々として過ぎ行きます。平次が下っ引を走らせて呼んだ係り同心が二三人の手先と駆け付けたのは申刻ななつ(四時)少し過ぎ。
ガラッ八の八五郎が、番頭の襟髪を取って引立てて来たのはもう申刻ななつ(午後四時)を廻る頃でした。
やがて定刻の未刻やつ(午後二時)が遅れて、申刻ななつ(四時)までに集まった者が九十八人、それにいちいちくじを引かせて、番号順に肌を脱いで、皆んなに見せなければなりません。
捕物の名人銭形の平次と、その子分の八五郎、野暮用で亀井戸かめいどへ行った帰り、東両国ひがしりょうごくの見世物小屋へ入ったのは、初夏の陽も、ようやく蔭を作りかけた申刻ななつ(四時)近い刻限でした。
申刻ななつ(午後四時)近くなって、主人の市兵衛は二千両の現金を持たせて帰ってきました。
道灌山へ平次と八五郎が向ったのは、悠々ゆうゆうと昼飯を済ましてから、火伏せの行が始まるという申刻ななつ(四時)時分には、二人は無駄を言いながら若葉の下の谷中やなか道を歩いておりました。
「八、こんな家はお前の方が顔が通るだろう。きょうの未刻やつ(二時)から申刻ななつ(四時)までの間に、小屋から出て行った者はないか、きいてみてくれ、——おどかしちゃいけないよ」
千両箱の釣台が寺の門をくぐったのは申刻ななつ下がり(午後四時過ぎ)、そのまま役僧の手で受け取って、住職、寄進主立会いの上、封印を切って調べるはずだったが、法要で出かけた住職も
そのうちに次第に陽が傾いて、未刻やつ(二時)になり申刻ななつ(四時)になります。
申刻ななつ(四時)少し廻ったばかりだ、なア八」
平次が出かけたのは申刻ななつ過ぎ。
申刻ななつ半(五時)かな」
未刻やつから申刻ななつ頃まで
芳年写生帖 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)