王仁わに)” の例文
阿直岐あちき王仁わによりもまた何百年か後のことで、両者の間隔は大分開いている、ということに注意する必要が、この地方はことに大きいのではないかと私は思う。
和州地名談 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
菟道の王が百済くだら王仁わに招聘しょうへいして学ばせられたのがはじめでありますから、この御兄弟の皇子の御心こそ、そのまま中国の聖人の精神ともいってよいでしょう。
他の人に、出口でぐち王仁わに三郎さんという人にも聞きましたが、誰としてはっきりといってくれた人がなかった。
生活と一枚の宗教 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
博士王仁わにがもたらした「軍勝図」が大江家から、源家へ伝えられたが、それを秘伝しているのが、源家の末の島津家で、玄白斎は、その秘法を会得している人であった。
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
我邦わがくに学問の独立せざる久し。王仁わに儒学を伝えてより以来、今日に至るおよそ二千余年の間、未だ曾て所謂いわゆる独立の学問なるものありて我が子弟を教授せしを見ず(謹聴)。
祝東京専門学校之開校 (新字新仮名) / 小野梓(著)
一は王仁わに、四は紫式部、五は紀内侍、六は梶原影季、七八は菅原道真である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
王仁わにが論語をもたらし文字を伝えたというのが伝説であるにしても、また
しかし支那の書物が、正式にわが国に伝来したのは、応神おうじん天皇の十六年二月(皇紀九四五西暦二八五)博士王仁わにが百済から、「論語」と「千字文」とを持参して、朝廷へ献上したのが最初である。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
本朝に儒教をたふとみてもは王道わうだうたすけとするは、菟道うぢきみ百済くだら七六王仁わにを召して学ばせ給ふをはじめなれば、此の兄弟はらからきみ心ぞ、やが漢土もろこしひじりの御心ともいふべし。
という句などは、私たちもまだ記憶するが、こちらの歴史に引比ひきくらべてみると、王仁わにの『千字文せんじもん』などよりはこれはまたずっと前のことで、明かに詩人の空想であったことがすぐにわかる。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)