爰許こゝもと)” の例文
かたぶ其許そのもと何時いつ江戸へ參られしやととふに彦三郎は今朝こんてう福井町へちやくすぐに承まはりたゞし只今爰許こゝもとへ參りしと申ゆゑ彌々いよ/\合點行ず段々樣子を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
爰許こゝもと今朝出馬、黒石通り、中野村迄帰程、様子相尋候処、五七日内には出艦手筈難及由に付、午刻より又々弘前行相催す。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
「廿八日。微晴。清水谷様より兵隊へ為慰労ゐらうとして御酒四合づつ、御肴代金一朱と三百五十四文づつ被成下なしくださる。石川厚安青森行に而前後立寄一泊。江木老人爰許こゝもと逗留中病院同宿。」
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
隱し置やが愛度めでたき御家督にすゑたてまつらん必ず/\氣遣ひ仕給したまふまじと請合ければすけ十郎然らばかねて申通り勿々なか/\手延になり難ければ今明日の中是非とも御救ひ申べしどの道にも一と先爰許こゝもとへ御連申さんと堅く約束なしすけ十郎はいそぎ立歸りて此段建部郷右衞門にも話しければ建部も深く悦びつゝ夫よりひそかに右の由を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
「十九日。晴。清水谷様爰許こゝもと御巡見有之総督御召に而、一統無怠慢在陣之段神妙之至、尚宜敷と御口上有之候由。今朝於青森大病院、罪人解体に付、斎木藤田昨夜より罷越、今夕又一宿。」
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)