清涼せいりょう)” の例文
紫宸ししん清涼せいりょう弘徽殿こきでんなどになぞらえられていた所の一切の御物ぎょぶつ——また昼の御座ぎょざの“日のふだ”、おん仏間の五大尊の御像みぞう
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
八宗の祖師といわれるかの有名な竜樹りゅうじゅ菩薩は、『智度論』という書物の中で、「智目行足ちもくぎょうそく以て清涼せいりょう池に到る」
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
彼らの挙止きょしの礼は、九重ここのえ清涼せいりょうと何ら変らないが、二人の衣冠は、ぼろぼろだった。鼠の巣を鼠の影がちょろちょろ出入りしているようであった。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして、岩清水一掬いわしみずいっきくの、水盃を汲み合うて、清涼せいりょうの気、胸をとおるとき、兄弟三人がひとしく家郷の母へ向って
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おそろしげな武士三名が、騎馬のまま宮中へせ入り、あっというまに、清涼せいりょうの殿上へ土足であがっていた。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
皇居はいま、二条の里内裏さとだいりにあるので、紫宸ししん清涼せいりょうきざはしではないが、御簾みすちかく彼を召されて、特に、賜酒ししゅを下され、そして音吐おんとまぎれなく、帝じきじきのおねぎらいであった。
と、老大納言は、清涼せいりょう殿上てんじょうでもしないほどな平身低頭を、高時へはして
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
清涼せいりょう紫宸ししんの皇居とちがって、ここは広いといっても、もと西園寺実氏さねうじの私邸であった町なかの館である。何につけお耳うるさい。いつもそれには気をつかっている三位ノ局廉子やすこがすぐ言った。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)