永正えいしょう)” の例文
して、その、世をしのぶ老士得印兼光なる主の物語というのは? はなしは、文明ぶんめいより永正えいしょうにかけてのむかしにかえる。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
連歌の最盛時代とも称すべき文明、明応はわずかに昨日と過ぎて、余勢なほいまだ衰へざる永正えいしょう天文てんぶんの間にありて、早く既に一転機の動かんとするを見る。
古池の句の弁 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
さあ、こちらを向かっしゃい、こちらを向いてこの刀、粗末ながら永正えいしょう祐定すけさだを一見さっしゃい
大菩薩峠:22 白骨の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
永正えいしょう四年六月二十三日だ。政元はそのような事を被官どもが企てているとも知ろうようはない。今日も例の通り厳冷な顔をして魔法修行の日課を如法に果そうとするほかに何の念もない。
魔法修行者 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
それがし祖父そふ興津右兵衛景通おきつうひょうえかげみちもうしそろ永正えいしょう十一(十七)年駿河国するがのくに興津おきつに生れ、今川治部大輔いまがわじぶたいふ殿に仕え、同国清見きよみせきに住居いたし候。永禄えいろく三年五月二十日今川殿陣亡じんぼう遊ばされそろ時、景通かげみち御供おともいたし候。
興津弥五右衛門の遺書 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
永正えいしょう大永たいえいから享禄・天文にかけての約三十数年に、猪苗代兼載いなわしろけんさい後柏原ごかしわばら天皇・冷泉政為・牡丹花肖柏・宗長・三条西実隆が和歌連歌の世界を圧えていたが、まず政為大永たいえい三年に七十九を以て去り
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
文明ぶんめいより永正えいしょうにかけての昔——。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)