毘沙門天びしゃもんてん)” の例文
八月十六日妻女山に着いた謙信は、日頃尊信する毘沙門天びしゃもんてんの毘の一字を書いた旗と竜の一字をかいた旗とを秋風に翻して、海津の高坂昌信を威圧したわけである。
川中島合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
吉祥天はバラモン教の美福の女神シュリイで毘沙門天びしゃもんてん多聞天たもんてん)すなわち富神クヴェラを夫としている。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
彼は背中一面に毘沙門天びしゃもんてんの像を彫っているので、獄吏もその尊像をはばかって杖をあてることが出来ない。
北辰妙見ほくしんみょうけんの宮、摩利支天の御堂みどう、弁財天のほこらには名木の紅梅の枝垂しだれつつ咲くのがある。明星の丘の毘沙門天びしゃもんてん。虫歯封じにはしを供うる辻の坂の地蔵菩薩じぞうぼさつ。時雨の如意輪観世音。笠守かさもりの神。
夫人利生記 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
毘沙門天びしゃもんてんのかなり大きな像が彫ってあるのだが、凝灰岩の粗質な岩に彫ってあるため左右の像は首が落ちたり磨滅したりして殆ど原形を存しないのであるが、ただ中央の薬師如来だけは
別府温泉 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
よくある土地ところの長者とは、こんなていの人物をいうのだろう。——五十がらみの、でっぷり肥えた体も、唐物からものずくめの衣服や身かざり派手派手と、毘沙門天びしゃもんてんの像でも歩いて出て来たようだった。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
『天王寺大懺悔』は谷中天王寺墓地に埋葬せられた名士聞人が夜半墓よりあらわれ出で、毘沙門天びしゃもんてんの質問にこたえて各生前の事を語るという諷刺ふうしの作である。明治十九年十月金港堂から刊行せられた。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
いわれあって、二人を待って、対の手戟てぼこ石突いしづきをつかないばかり、洋服を着た、毘沙門天びしゃもんてん増長天ぞうちょうてんという形で、五体をめて、殺気を含んで、呼吸いきを詰めて、待構えているんでがしてな。
唄立山心中一曲 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)