この天皇の御代みよには、新羅しらぎの国の人がどっさりわたって来ました。武内宿禰たけのうちのすくねはその人々を使って、方々に田へ水を取る池などをりました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
第十五代の天皇応神の時代には、武内宿禰たけのうちのすくねを筑紫に差しむけたところ、宿禰の弟の甘美内宿爾うましうちのすくねは、「兄に異心がある。」と、天皇に告げた。
キタカミの文字がヒタカミのなまりであるという考証を仙台で聞いた。してみると、人文のいま剖判ほうはんせざる上古、武内宿禰たけのうちのすくねや、日本武尊やまとたけるのみことの足跡がある。
大菩薩峠:34 白雲の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
こうたずねるとおじいさんは千三の顔をじっと眺めた、それは紙幣で見たことのある武内宿禰たけのうちのすくねに似た顔であった。
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
家の周りに竹を多くえて要害に宛てたかと思う竹の内という屋敷名は、古くさかのぼれば武内宿禰たけのうちのすくね以来かとも想像せられるほどに、中世には数多いものであった。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
その中には、鐘馗やら、金太郎やら、武内宿禰たけのうちのすくねやら、メチヤメチヤにこはされた五月人形が一パイ。
養父というのが、明治天皇の前の孝明天皇のそのまた前の天子様の御稚児ちごに上っていたという人なんですからずい分古い話。ちょうど武内宿禰たけのうちのすくねみたいな上品なおじいさんでした。
私の思い出 (新字新仮名) / 柳原白蓮(著)
前者は武内宿禰たけのうちのすくねなどが行った湯起請ゆぎしょうで国史にも見える。それと記しならべたるを見ると古く蛇起請も行われたるを、例の通り邦人は常事として特に書き留めなんだが、支那人は奇として記録したのだ。
これにたいして、蘇我氏は、武内宿禰たけのうちのすくねの子孫として、一大氏族をつくっていた。武内宿禰は、日本の古代の帝国主義を建設した人物であった。
皇子おうじ大雀命おおささぎのみことは、その髪長媛かみながひめが船で難波なにわへ着いたところをごらんになり、その美しいのに感心しておしまいになりました。それで武内宿禰たけのうちのすくねに向かって
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
皇子は、日本でがんが卵をうんだということは、これまで一度もお聞きになったことがないものですから、たいそうふしぎにおぼしめして、あとで武内宿禰たけのうちのすくねして
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)