新兵衛しんべえ)” の例文
いつも村の入り口から見える、新兵衛しんべえのにお場や源三げんぞうのにお場は、藁におが立ち並んで白く目立って見えた。
落穂 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
この人或日の夕元園町もとぞのちょうなる小波先生の邸宅に文学研究会あり木曜日の夜湖山こざん葵山きざん南岳なんがく新兵衛しんべえなんぞ呼ぶ門人多く相集まれば君も行きて見ずやとてわれを伴ひ行きぬ。
書かでもの記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
「根が枯れて、枝が栄えるというのはこれだよ。鈴新というからにゃ、新兵衛しんべえ新九郎しんくろう新左衛門しんざえもん、いずれは新の字のつく名まえにちげえねえ。おやじはいるか、のぞいてみな」
鍛冶屋かじや新兵衛しんべえの家のうらを通ると、新兵衛の家内が髪をすいていました。ごんは
ごん狐 (新字新仮名) / 新美南吉(著)
わが江戸の話は文政ぶんせい末期の秋のよいの出来事である。四谷の大木戸おおきど手前に三河屋といふ小さい両替店りょうがえみせがあつて、主人しゅじん新兵衛しんべえ夫婦と、せがれの善吉、小僧の市蔵、下女のお松の五人暮らしであつた。
赤膏薬 (新字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
美成、字は久卿きゅうけい北峰ほくほう好問堂こうもんどう等の号がある。通称は新兵衛しんべえのち久作と改めた。下谷したや二長町にちょうまちに薬店を開いていて、屋号を長崎屋といった。晩年には飯田町いいだまち鍋島なべしまというものの邸内にいたそうである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
正月五ヵ日の間毎日のようにお菊の家の隣の新兵衛しんべえの家に遊びに行った。お菊はよく新兵衛の家に遊びに来た。女の影をちらと見たばかりでも、血がわきかえるほど気がはずんだ。
落穂 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)