御朱印ごしゆいん)” の例文
ひらかれけるさて平石ひらいし次右衞門吉田三五郎の兩人より越前守へ言上いひあげ彼若君かのわかぎみ澤の井の死骸しがいはうむりし光照寺へ永代佛供料えいたいぶつくれうとして十八石の御朱印ごしゆいん
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
「さて、皆んな、聽いてくれ。曲者は昨夜奧藏に忍び込んで、あらうことか、東照宮樣御朱印ごしゆいんを盜み出した上、伜を殺して逃げうせたよ——」
「昔は五百石の御朱印ごしゆいんで」なぞと言つても、「乃公われの家の糊米のりまいだ」と京子の父は高をくゝつて道臣を見下げた。腹がめかけだといふので、長女には生れてゐても、京子は弟や妹ほど父に重んぜられなかつた。
天満宮 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
「今朝、若松屋の裏の路地で、御朱印ごしゆいんの傅次郎といふ札つきのわるが、土手つ腹をゑぐられて死んでゐるぢやありませんか」
とれ馬の牽綱ひきつなつめよとせいし來れるは將軍家御朱印ごしゆいんいれの長持なり藤八は未だ御巡見使ごじゆんけんしの來らるゝとは思はぬ故傍邊かたへ馬士まごむか何方樣どなたさまの御通行ぢやと問に馬士は打笑ひ是を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
守隨もりずゐ兵三郎なる者甲府から江戸に入つて、關東八州の權衡けんかうつかさどり、後徳川家康の御朱印ごしゆいんを頂いて東日本三十三ヶ國の秤の管理專賣を一手に掌握しやうあく
御朱印ごしゆいんの傅次郎とかいふやくざが、裏の塀側で殺されてゐるんです。それを三輪の親分がお扇の仕業にして、八方に手を擴げて探してをりますが、肝心かんじんのお扇は昨夜ゆうべ宵の内から姿を見せません。
たうとう御朱印ごしゆいんの傳次郎の父親、船頭の傳六といふ惡者の手にち、危ふく吉原へ叩き賣られるところでしたが、それよりは妾奉公をさせて、幾度も/\支度金をかせがせた方が實入りになると知つて
預つた時、家康公から直々に頂戴した御朱印ごしゆいん