弊衣へいい)” の例文
東武談叢とうぶだんそう』その他の聞書ききがきに見えているのは、慶長十四年の四月四日、駿府城内の御殿の庭に、弊衣へいいを着し乱髪にして青蛙あおがえるを食う男、何方いずかたよりともなく現れ来る。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
竹逕の養父に代って講説することは、ただ伝経廬でんけいろにおけるのみではなかった。竹逕は弊衣へいいて塾をで、漁村に代って躋寿館にき、間部家まなべけに往き、南部家に往いた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
よしさりとも、ひとたび同胞はらから睦合むつみあへりし身の、弊衣へいいひるがへして道にひ、流車を駆りて富におごれる高下こうげ差別しやべつおのづかしゆ有りてせるに似たる如此かくのごときを、彼等は更に更にゆめみざりしなり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
弊衣へいいえり寒く
故郷の花 (旧字旧仮名) / 三好達治(著)
武州小川の大塚梧堂ごどう君の話では、夜道怪は見た者はないけれども、蓬髪ほうはつ弊衣へいいあかじみた人が、大きな荷物を背負うてあるくのを、まるで夜道怪のようだと土地ではいうから
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)