実美さねとみ)” の例文
三条実美さねとみ、伊藤博文等は平和論を主張して居たし、朝廷にても、有栖川宮熾仁たるひと親王を勅使として遣わされようと云う議さえあった。
田原坂合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
その時になると、長州藩主父子は官位を復して入洛じゅらくを許さるることとなり、太宰府だざいふにある三条実美さねとみらの五卿もまた入洛復位を許されて、その時までの舞台は全く一変した。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
というようなことから、露八は、三条実美さねとみ東久世通禧ひがしくぜみちとみの前へ、ひっぱり出された。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
豈料あたはからんや藤原実美さねとみ等、鄙野匹夫ひやひっぷの暴説を信用し、宇内うだいの形勢を察せず国家の危殆きたいを思はず、ちんが命をためて軽率に攘夷の令を布告し、みだりに討幕のいくさおこさんとし、長門宰相の暴臣のごと
尊攘戦略史 (新字新仮名) / 服部之総(著)
この時に於て、明治天皇は三條実美さねとみを召されて、徳川家の旧勲を失はざるやうに処置せよ、との有難き宸翰しんかんを賜うてゐる。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
筑前ちくぜん太宰府だざいふに潜伏していた三条実美さねとみ以下の五卿であった。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
三條実美さねとみの信頼篤く、その使命を奉じて四方に使ひし、真木和泉まきいづみと共に年齢手腕共に長者であり、志士の間に最も重きをなした人物であつた。生き残つてゐたら、子孫は侯爵になつたかも知れん。