大物だいもつ)” の例文
「——今朝来、尼ヶ崎には、はや筑前守の先手、中軍の諸勢が、続々到着して、大物だいもつの浦、長洲ながすのあたり、兵馬が充満して見える」
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
作者出雲いずも松洛しょうらく千柳せんりゅう等はこの権太によりて大物だいもつの浦、芳野山の様なる大時代の中に、一の世話場を現ぜしめたり。権太の性質はおよそ三段に分る。
てきつた鎧戸よろひどに鳥打帽の頭を当てがつて、こくり/\居睡ゐねむりをしてゐたが、電車が大物だいもつを出た頃に、ひよいと頭を持ち直して、ぱつちり眼をけた。
義経は、討ち取った首をさらし首にして、門出の血祭にあげ、幸先良しと大物だいもつの浦に急いだ。
行路こうろの難は、そればかりでなかった。大物だいもつの浦から船に乗りこんだ夜、暴風あらしに襲われて、船は難破してしまった。
日本名婦伝:静御前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
摂津の大物だいもつうら片葉かたはあししかきないといふ伝説は古い蘆刈の物語に載つてゐる。
大物だいもつの浦に着いた成親一行に、京都からの使いが来たのが、六月三日である。
大物だいもつうらの遭難後、追捕ついぶの兵に追われて、吉野の奥にかくれ、そしてまた、別れるまでの約七日間、二人は完全に二人だけで、世外の山院へ身を潜めていたのである。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
男ばかりの電車は、少し逆上気味のぼせぎみけもののやうに風を切つて飛んだが、やつ大物だいもつまで来て一人の女を乗せる事が出来た。女といふのは、四十ちかい、四角い顔をした、愛国婦人会の幹事でもしさうな女だ。