基経もとつね)” の例文
運命は父親同士の頭に荒れ狂うているのか、それとも、息子たちがいているとでもいうのであろうか。——基経もとつねは、手をもって制した。
姫たちばな (新字新仮名) / 室生犀星(著)
五年前にフランスへ行って了った、子爵仙波基経もとつね、私はこの男の存在をすっかり忘れて居たのです。この浪曼主義者なら、どんな奇抜な芝居でも打ち兼ねません。
読者は唯、平安朝と云ふ、遠い昔が背景になつてゐると云ふ事を、知つてさへゐてくれれば、よいのである。——その頃、摂政せつしやう藤原基経もとつねに仕へてゐるさむらひの中に、なにがしと云ふ五位があつた。
芋粥 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
中御門なかみかどの北、堀川の東一丁の所にあった時平の居館の名で、当時時平は故関白かんぱく太政だじょう大臣基経もとつね、———昭宣公しょうせんこう嫡男ちゃくなんとして、時のみかど醍醐だいご帝の皇后穏子おんしの兄として、権威並びない地位にあった。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
移し植えたあやめはとうに花をちぢらせ、釣殿つりどの近くうぐいすの声が老いて行っても、二人の男は通いつづめた。父の基経もとつねは永い間、ほとんど耐えかねていたように、る日、橘を呼んでいった。
姫たちばな (新字新仮名) / 室生犀星(著)
と、基経もとつねは憂色にとざされ、ものうげにいった。
姫たちばな (新字新仮名) / 室生犀星(著)