吉助きちすけ)” の例文
わしはあの吉助きちすけが心からきらいなのだ。腹の悪いくせにお追従ついしょうを使って。この春だってそ知らぬ顔でうちの田地の境界をせばめていたのだ。
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
奉行ぶぎょうの前に引き出された吉助きちすけは、素直に切支丹宗門きりしたんしゅうもんを奉ずるものだと白状した。それから彼と奉行との間には、こう云う問答が交換された。
じゅりあの・吉助 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
杉山は河内国かはちのくに衣摺村きぬすりむらの庄屋で、何か仔細しさいがあつて所払ところばらひになつたものださうである。手近な用をすのは、格之助の若党大和国やまとのくに曾我村生そがむらうまれの曾我岩蔵いはざう中間ちゆうげん木八きはち吉助きちすけである。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
左衛門 (怒る)吉也きちやわるめ。よし、そんな事をするならおれに考えがある。あすにも吉助きちすけの宅に行ってウンという目にあわせてやる。
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
じゅりあの・吉助きちすけは、肥前国ひぜんのくに彼杵郡そのきごおり浦上村うらかみむらの産であった。早く父母に別れたので、幼少の時から、土地の乙名三郎治おとなさぶろうじと云うものの下男げなんになった。
じゅりあの・吉助 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
次にほゞ格之助と同じ支度の平八郎が、黒羅紗くろらしやの羽織、野袴のばかまで行く。茨田いばらたと杉山とがやりを持つて左右に随ふ。若党わかたう曾我そが中間ちゆうげん木八きはち吉助きちすけとが背後うしろに附き添ふ。次に相図あひづの太鼓が行く。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
きょうも吉助きちすけうちでおふくろに泣かれた時にはふらふらしかけたよ。わしはわしをしかってもっと気強くしなくてはならないと腹を決めてどなりつけてやったのだよ。
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)