参覲交代さんきんこうたい)” の例文
「すこし腰が痛くなった。九州から東京は遠いなあ。昔の殿様はこの長道ながみちを歩いて、参覲交代さんきんこうたいしよったと思うと、あきれてしまうよ」
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
この街道を通る参覲交代さんきんこうたいの大名はあまり数が多くはないが、それらの大名が通る時よりも、勤番支配の通る時の方が鄭重ていちょうでありました。
かつては参覲交代さんきんこうたい制度のような幕府にとって重要な政策を惜しげもなく投げ出した当時からの、あの弱いようで強い、時代の要求に敏感で
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「高力左近太夫様が、高力左近太夫様で道中をしては、毛利と浅野の家来につけ狙われて危ないが、参覲交代さんきんこうたいの大名が、逃げも隠れもするわけに行かねえ」
ことにそのなかに、面白き思附き、興ある見物みものとして大名行列があった。それは旧大名の禄高ろくだか多く、格式ある家柄の参覲交代さんきんこうたいの道中行列にならい、奥向の行列もつくったのであった。
一世お鯉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
徳川幕府の頽勢たいせい挽回ばんかいし、あわせてこの不景気のどん底から江戸を救おうとするような参覲交代さんきんこうたいの復活は、半蔵らが出発以前にすでに触れ出された。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
その他、参覲交代さんきんこうたいの大名という大名で、この下郎共の口の端にかかって完膚かんぷのあるのはないが、百万石、加賀様だけは別扱いになって、さのみ悪評が残らない——
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「大垣様の細工は、参覲交代さんきんこうたいを怠らせられる殿様の御身の上を安じての事、人間二人の命を縮め、その上、気の毒な娘までも手に掛けようとしたのは許し難いことですが——お気の毒でございます」
「おれの思うには、参覲交代さんきんこうたいということも今にどうかなるだろうよ。こう御通行が頻繁ひんぱんにあるようになっちゃ、第一そうは諸藩の財政が許すまい。」
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
体格抜群のものをりに選り、各大名屋敷が自慢で養って置いたが、このごろ、諸大名の参覲交代さんきんこうたいが御免になって、奥方を初め、江戸住居を引上げて国へ帰れるようになってから
大菩薩峠:41 椰子林の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
嘉永かえい年代以来、黒船の到着は海岸防備の必要となり、海岸防備の必要は徳川幕府および諸藩の経費節約となり、その経費節約は参覲交代さんきんこうたい制度の廃止となり
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
それは参覲交代さんきんこうたいの大名の行列から来る余沢よたくの潤いであるとのことです。
大菩薩峠:18 安房の国の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
西の領地よりする参覲交代さんきんこうたいの大小の諸大名、日光への例幣使れいへいし、大坂の奉行ぶぎょう御加番衆おかばんしゅうなどはここを通行した。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
旅行も困難な時代であるとは言いながら、参覲交代さんきんこうたいの諸大名、公用を帯びた御番衆方おばんしゅうかたなぞの当時の通行が、いかに大げさのものであったかを忘れてはならない。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
かつて西の領地よりする参覲交代さんきんこうたいの諸大名がまださかんにこの街道を往来したころ、木曾きそ寄せの人足だけでは手が足りないと言われるごとに、伊那いなの谷に住む百姓三十一か村
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
参覲交代さんきんこうたいの御変革以来だよ。あの御変革は、どこまで及んで行くか見当がつかない。」
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
その年の春は、ことに参覲交代さんきんこうたい制度を復活した幕府方によって待たれた。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)