出廬しゅつろ)” の例文
「魏王曹叡そうえいが、宛城えんじょうへ勅使を馳せつかわして、閑居の司馬懿しばい仲達を平西へいせい都督に封じ、って彼の出廬しゅつろを促しているもようにうかがわれます」
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さっきからいかにをひくうし、礼を厚うして出廬しゅつろをうながしても、作爺さんの作阿弥は、いっかな、うんと承知しません。
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
出廬しゅつろ以前のお百姓と致しましては、おそらくやっと食べて行かれるだけの水呑百姓の程度を遠く出でなかった百姓であったろうことを想像いたされるのでございます。
大菩薩峠:38 農奴の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
しかし、家光の再三の召しに依って出廬しゅつろした沢庵は、己れの存在の時代的意義をはっきり認識して、建設期の文化面に、大きな役割を演じたのである。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
まだ出廬しゅつろをなさらない時分の毎日の生活と申しますのは、晴れた日には自分から陽当りのいい前畑に出て躬耕きゅうこうを致し、雨の日には自分の好むところの古今東西の書物を取ってごらんになる
大菩薩峠:38 農奴の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
その竹中半兵衛重治ひとりを麾下きかに迎えるため、かつては栗原山の山中に七日も通って行き、慇懃三顧いんぎんさんこの礼をとって、ようやく彼に出廬しゅつろの決心をさせた
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
出廬しゅつろを促すためにかよったことは、世間にも余りに知れわたっている話である。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
劉予州りゅうよしゅうが、先生の草廬そうろを三度まで訪ねて、ついに先生の出廬しゅつろをうながし、魚の水を得たるが如し——と歓ばれたという噂は、近頃の話題として、世上にも伝えられていますが、その後、荊州もらず
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「えっ。では、それがしのへいに応じて、ご出廬しゅつろくださいますか」
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
出廬しゅつろ
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)