典侍てんじ)” の例文
さて宗良親王は後醍醐天皇第五皇子、為世の女遊義門院権大納言典侍てんじ、いわゆる贈従三位為子の腹で、後村上天皇よりは兄君である。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
中山大納言だいなごん菊亭きくてい中納言、千種少将ちぐさのしょうしょう(有文)、岩倉少将(具視ともみ)、その他宰相の典侍てんじ命婦能登みょうぶのとなどが供奉の人々の中にあった。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
その後醍醐以下、侍者じしゃの公卿や典侍てんじらの身をあずかってから、すでに早や一年ちかくにはなるが、隠岐ノ判官清高の立場は、一日も心のやすまるひまはなかった。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ところが京都方にも、公武合体の意見をいだいた岩倉具視いわくらともみ久我建通くがたてみち千種有文ちぐさありぶみ富小路敬直とみのこうじひろなおなぞの有力な人たちがあって、この人たちが堀河ほりかわ典侍てんじを動かした。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
更衣こういとか典侍てんじとかよばれる深宮しんきゅうの女性にちがいない。いよいよ恐縮して、義貞はなかば夢心地で薬湯をおしいただいたが、あたりの花明りに、ふと、そのひとの顔を見たせつな
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
内裏だいり典侍てんじ命婦みょうぶのかよう廊ノ間に落しぶみをしておけば、その夜の忍ぶ手のまさぐりに、ねばき黒髪と熱いくちびるが、伽羅きゃらなどというこうるるにやあらんやみに待ちもうけていて
「先年、美保ヶ関でお引き継ぎをうけたさい、殿のお耳打ちもありましたことゆえ、島では、先帝以下、三名の典侍てんじたちへも、ずいぶん御自由な日々をお過ごしさせておいたのです」
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
典侍てんじのひとりの小宰相こさいしょうであった。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)