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仲達
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ちゅうたつ
ふりがな文庫
“
仲達
(
ちゅうたつ
)” の例文
この会議でも、関羽の名を恐れおびえた人々は、早くも魏王宮の遷都説まで叫んだが、
司馬懿
(
しばい
)
仲達
(
ちゅうたつ
)
が立って、その不可を論じ
三国志:10 出師の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
即ち「死せる
孔明
(
こうめい
)
生ける
仲達
(
ちゅうたつ
)
を走らす」のである。孔明は智謀神の如き人である。
司馬仲達
(
しばちゅうたつ
)
もまた同様な偉い人物ではあるが、孔明を恐るる事甚だしい。
勢力の中心を議会に移すべし
(新字新仮名)
/
大隈重信
(著)
よしないことを其方が言うものだから、わしが
仲達
(
ちゅうたつ
)
の憂目を見せられる
大菩薩峠:30 畜生谷の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
不思議な事は、
禍
(
わざわい
)
だか、
幸
(
さいわい
)
だか、お孝の妹分と聞いただけで、その向きの客人は一目を置き、三舎を避けて、ただでも稲葉家では
後日
(
あとあと
)
が、と敬遠すること、死せる孔明活ける
仲達
(
ちゅうたつ
)
を走らすごとし。
日本橋
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
わけて出色な人事と評されたのは、
主簿
(
しゅぼ
)
司馬朗
(
しばろう
)
の弟で、
河内温
(
かだいうん
)
の人、
司馬懿
(
しばい
)
、字を
仲達
(
ちゅうたつ
)
というものが、
文学掾
(
ぶんがくのえん
)
として、登用されたことだった。
三国志:07 赤壁の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
▼ もっと見る
「何ぴとか?」と、人々が見れば、
河内温城
(
かだいうんじょう
)
の人、
司馬懿
(
しばい
)
、字は
仲達
(
ちゅうたつ
)
だった。曹丕は、ひそかに、会心の面持で
三国志:10 出師の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
司馬懿
(
しばい
)
仲達
(
ちゅうたつ
)
は、中軍の
主簿
(
しゅぼ
)
を勤め、この漢中攻略のときも、曹操のそばにあって、従軍していた。
三国志:09 図南の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
すなわち
司馬懿
(
しばい
)
、
字
(
あざな
)
は
仲達
(
ちゅうたつ
)
であった。
三国志:10 出師の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
死
(
し
)
せる
孔明
(
こうめい
)
、
生
(
い
)
ける
仲達
(
ちゅうたつ
)
を
走
(
はし
)
らす
三国志:11 五丈原の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“仲達(
司馬懿
)”の解説
司馬 懿(しば い、Sīmǎ Yì、 光和2年(179年) - 嘉平3年8月5日(251年9月7日))は、中国後漢末期から三国時代にかけての武将・政治家。字は仲達(ちゅうたつ)。魏において功績を立て続けて大権を握り、西晋の礎を築いた人物。西晋が建てられると廟号を高祖、諡号を宣帝と追号されたため、『三国志』では「(司馬)宣王」と表記されるが、独立した伝は立てられていない。
(出典:Wikipedia)
仲
常用漢字
小4
部首:⼈
6画
達
常用漢字
小4
部首:⾡
12画
“仲”で始まる語句
仲間
仲
仲人
仲違
仲居
仲町
仲好
仲店
仲々
仲善