五百いほ)” の例文
此事は独り松田氏が聞き伝へてゐるのみではなく、渋江保さんの如きも母五百いほに聞いて知つてゐる。しかしそのいづれの年にあつたかをつまびらかにしない。或は蘭軒歿後の事だとも云ふ。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
その屋根を天にたとえることは、新家屋を寿ことほぐのが主な動機だから自然にそうなるので、また、万葉巻十九(四二七四)の新甞会にいなめえの歌の「あめにはも五百いほつ綱はふ万代よろづよに国知らさむと五百つ綱ふ」
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
五百いほあまり華のよろこびみましてなほかがやかしみ園は久に
黒檜 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
なみに五百いほをはらみ
白羊宮 (旧字旧仮名) / 薄田泣菫薄田淳介(著)
渋江保さんは母山内氏五百いほの語るを聞いた。榛軒は午餐若しくは晩餐のために抽斎の家に立ち寄ることがあつた。さう云ふ時には未だ五百の姿を見ざるに、早く大声たいせいに呼ぶを例とした。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
俊の病は今これをつまびらかにすることが出来ぬが、此冬やまひおこつた初に、俊は自ら起つべからざるを知つて、辞世の詩歌を草し、これを渋江抽斎の妻五百いほしめした。五百は歌を詠じて慰藉した。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)