下御所しもごしょ)” の例文
「ただいま、正成の首級をおたずさえあって、下御所しもごしょ(直義)さまと、高ノ師業もろなり師久もろひさの両名が、御営門までおみえにござりますが」
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「は。……戦場より抜けてこれへ急使としておいでなされた下御所しもごしょ直義ただよし)さまのお旗本、上杉伊豆守重房、須賀すが左衛門、そのほか十騎ばかりの」
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
下御所しもごしょ(弟、直義)は、陸軍をひきいて、こう師泰もろやすを旗本がしらとし、少弐ノ頼尚よりひさを先陣に、筑紫つくし、長門、周防、安芸、備前、備中の兵をこぞッて陸上を行く。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
お叱りにはございますが、下御所しもごしょさまの御厳達により、近来は、雑兵ぞうひょうたりといえ、捕虜はその日にみな斬ることにしておりまする。……なにぶんにも味方を
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いやその晩、下御所しもごしょ直義ただよしがここの禅院を訪ねて来た時からだといってもよい。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼は師泰もろやすの子であり、師直もろなおの子の師業もろなりと共に下御所しもごしょ(直義)の手についていた。ところが今朝からその下御所の令には、正成の首は面目にかけてもわれらの手でげよという厳命だった。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その夜、またあくる日と、この面々は直義の下御所しもごしょに寄合って、どうしたら朝廷の難題をのがれうるか、また、尊氏を思い止まらすことができるか、直義を中心に、鳩首きゅうしゅ、談合の様子だった。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
以後、国元の熊山に帰ッてりをひそめておりましたが、下御所しもごしょ直義ただよし)の大軍が、はや福山の城(備中・倉敷の西北)にせまッたのを見て、高徳らは、しょせん、はばがたしと見たのでしょう。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)