三味線堀しゃみせんぼり)” の例文
竹の柱に風呂敷ほどなぬの一枚のかこいでは、寒さを防ぐ足しにもならない。薄氷の張っている三味線堀しゃみせんぼりから吹き上げて来る風にもふるえ上がッて
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
三味線堀しゃみせんぼり佐竹右京太夫様さたけうきょうだゆうさまのお上屋敷、あれからいたしまして、吾妻橋あづまばしの袂といいますから、かなりの長丁場ながちょうば
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
弘庵は弘化四年土浦の藩校を去り江戸に帰って日本橋槙町まきちょう僦居しゅうきょし翌年麹町平川町に移りまたその翌年下谷三味線堀しゃみせんぼりに転じ家塾を開いてこれを彀塾こうじゅくと称した。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
竹町たけちょうは佐竹の原が形を変えて市街となったので、それで竹町というのであって、佐竹の屋敷を取り払った跡が佐竹の原です。東南に堀があって、南方は佐竹の表門で、その前が三味線堀しゃみせんぼりです。
昔の永代えいたい橋の右岸のたもとから、左の方の河岸かしはどんな工合になって居たか、どうもく判らなかった。その外八丁堀、越前堀、三味線堀しゃみせんぼり山谷さんや堀の界隈かいわいには、まだまだ知らない所が沢山あるらしかった。
秘密 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
住居というのは、やはり以前のどぶだなの近くと見えます。三味線堀しゃみせんぼりに沿ってあれから、稲荷町いなりちょうの方角へ足を向けて行くと
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
三味線堀しゃみせんぼりの宗匠手枕舎里好たまくらやりこう
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
そこで、また三味線堀しゃみせんぼりからかぜに幕を張らなければならないかと、少し酔の醒めた顔をしていると、その夕方です。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ここは下谷したや三味線堀しゃみせんぼり
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)