一橋ひとつばし)” の例文
神田小川町おがわまちの通にも私が一橋ひとつばしの中学校へ通う頃には大きな銀杏が煙草屋たばこやの屋根をつらぬいて電信柱よりも高くそびえていた。
「四月十一日。石清水行幸の節、将軍家御病気。一橋ひとつばし様御名代のところ、攘夷じょういの節刀を賜わる段にておげ。」
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
奥平家の大奥に芳蓮院ほうれんいん様と云う女隠居がある、この貴婦人は一橋ひとつばし家から奥平家にくだって来た由緒ある身分で、最早もはや余程の老年でもあり、一家無上の御方様おんかたさまあがめられて居る。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
もっともそれも少しの間で、また一橋ひとつばしへ引移り、ついに卒業まで、車でそこへ通ったのです。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
一橋ひとつばしの高等女学校を卒業なされて、博士の留学のお留守中にも、明治女学校にかよい、松野フリイダ嬢に学び英語を専習されました。ピアノは和歌と同門の友橘糸重たちばないとえ女史に教えられてお出でした。
大塚楠緒子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
その頃予の通学せし一橋ひとつばしの中学校にてはつとに制服の規定ありしかば、上衣だけは立襟たちえりのものを着たれど長ズボンは小児の穿うがつべきものならずとて、予はいつも半ズボンなりしかば
洋服論 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
ちょうど、時は安政大獄あんせいのたいごくのあとにあたる。彦根ひこねの城主、井伊掃部頭直弼いいかもんのかみなおすけが大老の職にいたころは、どれほどの暗闘と反目とがそこにあったかしれない。彦根と水戸。紀州と一橋ひとつばし
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
相見れば一人いちにんはわが身かつて外国語学校支那語科にありし頃見知りたりし仏語ふつご科の滝村立太郎たきむらりゅうたろう君、また他の一人は一橋ひとつばしの中学校にてわれよりは二年ほど上級なりし松本烝治まつもとじょうじ君なり。
書かでもの記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)