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ひきゐ
ふりがな文庫
“ひきゐ”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句
割合
率
80.0%
将
20.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
率
(逆引き)
廿
(
にぢう
)
四年中に
雑誌編輯
(
ざつしへんしう
)
の手を洗つてから、
茲
(
こゝ
)
に
年
(
とし
)
を
経
(
ふ
)
ること九年になります、
処
(
ところ
)
が
此
(
こ
)
の九の字が
又
(
また
)
不思議
(
ふしぎ
)
で、実は
来春
(
らいしゆん
)
にも
成
(
な
)
つたら、
又々
(
また/\
)
手勢
(
てぜい
)
を
率
(
ひきゐ
)
て
雑誌界
(
ざつしかい
)
に打つて出やうと
云
(
い
)
ふ計画も有るのです
硯友社の沿革
(新字旧仮名)
/
尾崎紅葉
(著)
前田
雅楽
(
うた
)
は兵二小隊を
率
(
ひきゐ
)
て廓に入り、兵器軍糧の授受に任じた。砲二十門、銃千六百挺、米五百俵である。将卒の降るもの千余人であつた。武揚は天保七年八月二十五日に生れた。
伊沢蘭軒
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
ひきゐ(率)の例文をもっと
(4作品)
見る
将
(逆引き)
北条霞亭は辛巳の歳に東に召された時、初は単身入府し、後更に
孥
(
ど
)
を
将
(
ひきゐ
)
て
徙
(
うつ
)
つた。前の江戸行は四月十三日に命ぜられて、六月の初に江戸に著したらしい。
伊沢蘭軒
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
文政四年四十二歳で福山に仕へ、直ちに召されて江戸に至つた。此年辛巳の
春杪
(
しゆんせう
)
夏初
(
かしよ
)
には、狩谷棭斎が子を携へて江戸を発し、霞亭が
孥
(
ど
)
を
将
(
ひきゐ
)
て江戸に入つたのである。
伊沢蘭軒
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
それは霞亭が東に召された時初より
孥
(
ど
)
を
将
(
ひきゐ
)
て
徙
(
うつ
)
つたとなした事である。実は霞亭は初め単身入府し、尋で一旦帰藩し、更に孥を将て東徙した。此事は
夙
(
はや
)
く浜野氏が親くわたくしに語つた。
伊沢蘭軒
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
ひきゐ(将)の例文をもっと
(1作品)
見る
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はたま
まさ
もち
もっ
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