“きよひら”の漢字の書き方と例文
語句割合
清衡100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
これは清衡きよひら存生ぞんじょうの時、自在坊じざいぼう蓮光れんこうといへる僧に命じ、一切経書写の事をつかさどらしむ。三千日が間、能書のうしょの僧数百人を招請しょうせいし、供養し、これを書写せしめしとなり。
七宝の柱 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
鎮守府将軍藤原清衡きよひらが、奥州の豊田館から平泉に館を築いて移ったのは堀河天皇の御宇ぎょうで、今からおよそ八百四十年前、それから基衡もとひら秀衡ひでひら泰衡やすひらと四代、平泉館に住んで
水中の宮殿 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
須弥壇は四座しざあって、壇上には弥陀みだ観音かんおん勢至せいし三尊さんぞん二天にてん六地蔵ろくじぞうが安置され、壇の中は、真中に清衡きよひら、左に基衡もとひら、右に秀衡ひでひらかんが納まり、ここに、各一口ひとふりつるぎいだき、鎮守府将軍ちんじゅふしょうぐんいんを帯び
七宝の柱 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
三の散佚さんいつはあろうが、言うまでもなく、堂の内壁ないへきにめぐらしたやつの棚に満ちて、二代基衡もとひらのこの一切経いっさいきょう、一代清衡きよひら金銀泥一行きんぎんでいいちぎょうまぜがきの一切経、ならび判官贔屓ほうがんびいきの第一人者、三代秀衡ひでひら老雄の奉納した
七宝の柱 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)