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きょうさい
ふりがな文庫
“きょうさい”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句
割合
匡済
25.0%
况斎
12.5%
杏斎
12.5%
凶歳
12.5%
恭斎
12.5%
暁斎
12.5%
狂斎
12.5%
▼ 他 4 件を表示
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
匡済
(逆引き)
泰西流の政理をもってこれを
匡済
(
きょうさい
)
することを目的としたるがごとし。
近時政論考
(新字新仮名)
/
陸羯南
(著)
きょうさい(匡済)の例文をもっと
(2作品)
見る
况斎
(逆引き)
後に抽斎と
交
(
まじわ
)
る人々の中、抽斎に
先
(
さきだ
)
って生れた学者は、
安積艮斎
(
あさかごんさい
)
、小島成斎、岡本
况斎
(
きょうさい
)
、海保漁村である。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
この年十二月二十一日の
夜
(
よ
)
、
塙次郎
(
はなわじろう
)
が
三番町
(
さんばんちょう
)
で
刺客
(
せきかく
)
の
刃
(
やいば
)
に命を
隕
(
おと
)
した。抽斎は常にこの人と岡本
况斎
(
きょうさい
)
とに、国典の事を
詢
(
と
)
うことにしていたそうである。次郎は
温古堂
(
おんこどう
)
と号した。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
きょうさい(况斎)の例文をもっと
(1作品)
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杏斎
(逆引き)
「親分、五丁目の
杏斎
(
きょうさい
)
先生が、お話をし度いことがあるとかで、下で待って居りますが」
銭形平次捕物控:237 毒酒薬酒
(新字新仮名)
/
野村胡堂
(著)
杏斎
(
きょうさい
)
先生が持って行った徳利二本の毒が違って居るわけだよ、——そして、お酌のお袖が——たよりに化けた米吉が、徳利を持って行って又持って帰ったと言って居るのも本当だ
銭形平次捕物控:237 毒酒薬酒
(新字新仮名)
/
野村胡堂
(著)
きょうさい(杏斎)の例文をもっと
(1作品)
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▼ すべて表示
凶歳
(逆引き)
三年一回の
凶歳
(
きょうさい
)
ありても
飢餓
(
きが
)
の
憂
(
うれい
)
を
免
(
まぬか
)
るべき割合ではありませぬか。
禾花媒助法之説
(新字新仮名)
/
津田仙
(著)
きょうさい(凶歳)の例文をもっと
(1作品)
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恭斎
(逆引き)
老年に及んで
経
(
けい
)
を
躋寿館
(
せいじゅかん
)
に講ずることになった。慶応二年九月十八日に、六十九歳で歿した人である。抽斎の生れた文化二年には八歳だから、郷里にあって、父
恭斎
(
きょうさい
)
に
句読
(
くとう
)
を授けられていたのである。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
きょうさい(恭斎)の例文をもっと
(1作品)
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暁斎
(逆引き)
劇壇において
芝翫
(
しかん
)
、
彦三郎
(
ひこさぶろう
)
、
田之助
(
たのすけ
)
の名を掲げ得ると共に、文学には
黙阿弥
(
もくあみ
)
、
魯文
(
ろぶん
)
、
柳北
(
りゅうほく
)
の如き才人が現れ、画界には
暁斎
(
きょうさい
)
や
芳年
(
よしとし
)
の名が
轟
(
とどろ
)
き渡った。
境川
(
さかいかわ
)
や
陣幕
(
じんまく
)
の如き相撲はその後には一人もない。
銀座界隈
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
きょうさい(暁斎)の例文をもっと
(1作品)
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狂斎
(逆引き)
これら無数の諷刺画中最も奇抜なるものは大抵国芳
狂斎
(
きょうさい
)
二家の筆にして芳虎芳年芳幾らこれにつげり。
江戸芸術論
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
きょうさい(狂斎)の例文をもっと
(1作品)
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