こう)” の例文
「今朝の味噌汁が悪うございました。飯にもこうものにも仔細しさいはなかった様子で、味噌汁を食わないものは何ともございませんが——」
床柱とこばしらけたる払子ほっすの先にはき残るこうの煙りがみ込んで、軸は若冲じゃくちゅう蘆雁ろがんと見える。かりの数は七十三羽、あしもとより数えがたい。
一夜 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
この茶漬けは、ほかになにひとつ惣菜そうざいを用いる必要がなく、最後にひと切れのこうのものを添えて、ぜいたくな味を満足させれば足りる。
鮪の茶漬け (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
僧正そうじょうむらさきころもをきました。人形の前にこうをたき、ろうそくの火をともしました。そしてじゅずをつまぐりながら、いのりをはじめました。
活人形 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
「……見ました、下は、……こう——です。——(釈玉香信女しゃくぎょくこうしんにょ)です。たしかに、……何ですか、一つまくってお目にかかるとしますかね。」
露萩 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
彼女は静かに珠数の珠をかぞえながら、鋪石に跫音あしおと一つ立てないで歩いて行った。そばへ寄ると何となくこうや湿った石の匂いがした。
老嬢と猫 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
火鉢でじいじいとためてくれるハムの味、卵子たまごのむし方、こうのもの、思い出してよだれが出るのだから、よっぽど美味かったのに違いない。
朝御飯 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
きぬを商う家、革をひさぐ家、魚をならべる店、わけて薄男すすきおがよく訪れたこうさばく家、それらの店にすわる男らの顔にみな見覚えがあった。
荻吹く歌 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
どこもかしこも、きんや、大理石や、水晶すいしょうや、絹や、灯火ともしびや、ダイヤモンドや、花や、おこうや、あらんかぎりの贅沢ぜいたくなもので、いっぱいなの
はつ恋 (新字新仮名) / イワン・ツルゲーネフ(著)
あの実の落ちてる木の下へ行ったことがありますか。あのこうばしい木の実を集めたり食べたりして遊んだことがありますか。
二人の兄弟 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
ふるい記憶がこうのようにしみこんだそれらの物を見ると、葉子の心はわれにもなくふとぐらつきかけたが、涙もさそわずに淡く消えて行った。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
夏の鮒で脂は落ちていますが身は新しいのでくすぶる山椒と醤油のこうばしい匂と共にあまい滋味の湯気が周りに立ち拡がりました。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
そして、両列の間には、大香炉おおこうろ薫々くんくんと惜しみなくこうかれ、正面に神明を祭り、男と男との義の誓いがここにわされる。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その次は鼻で皿の中からこうばしいにおいが鼻をかすめればそこで一段の食慾を起す。悪い匂いが鼻をいたらたちまち胸が悪くなる。
食道楽:冬の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
あのたおやかな古文の妙、たとえば真名盤まなばんこういたようなのが、現代のきびきびした物言ものいいに移されたとき、どんな珍しい匂が生じるだろう。
『新訳源氏物語』初版の序 (新字新仮名) / 上田敏(著)
うそだといいなさるのかい。証拠しょうこはちゃんとあがってるんだぜ。おせんのつめにおいは、さぞこうばしくッて、いいだろうの」
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
ありゃいけないね、あんまりゴテゴテの戒名かいみょうなんぞつけたのは。子孫へ不孝っていうもんだ——なにってやがる、さんざこうこのように食っといて——
僕は実際疲れていましたから、ラップといっしょに長老に従い、こうにおいのする廊下伝いにある部屋へやへはいりました。
河童 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
信じていたぜ、お前の云うことだけは信じられると思って、それこそ冷飯にこうこで寝る眼も惜しんで稼いでいたんだぜ
柳橋物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
それが何かといいますとこうく台である。その大ラマの出て来る前からして僧俗の者が香を焚いて待ち受けて居る。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
そして、その墨染すみぞめの袖に沁みているこうにおいに、遠い昔のうつを再び想い起しながら、まるで甘えているように、母のたもとで涙をあまたゝび押しぬぐった。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
ある時、漁師が夜中に船を繋いでいると、そのあたりに笛や歌の声がきこえて、こうの匂いが漂っていた。漁師が眠りに就くと、なにびとか来て注意した。
あかい髪をし、おおどかな御顔だけすっかりこうにおけになって、右手を胸のあたりにもちあげて軽く印を結ばれながら、すこし伏せ目にこちらを見下ろされ
大和路・信濃路 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
かの岩間に咲く蓮馨花さくらそうは人に見えざるがゆえに彼女は紅衣こういを以てよそおわざるか、年々歳々人知れずしてこうを砂漠の風に加え、色を無覚の岩石に呈する花何ぞ多きや
基督信徒のなぐさめ (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
そうして問題はなお一歩を進めて、こうと信仰との年久しい習慣にも結びつけられそうに私は思う。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
げるより、子供こどもまもらなければなりません。四ほうまわしたけれど、てきらしいもののかげはなく、ちたのは、なんとこうばしい、バターのついたパンではありませんか。
どこかに生きながら (新字新仮名) / 小川未明(著)
上には飯茶碗めしぢゃわんが二つ、箸箱はしばこは一つ、猪口ちょくが二ツとこうのものばちは一ツと置ならべられたり。
貧乏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
テカテカする梯子段はしごだんを登り、長いお廊下を通って、ようやく奥様のお寝間ねま行着ゆきつきましたが、どこからともなく、ホンノリと来るこうかおゆかしく、わざと細めてある行燈あんどう火影ほかげかすかに
忘れ形見 (新字新仮名) / 若松賤子(著)
次女はもったい振り、足の下の小さい瀬戸の火鉢に、「梅花」というこうを一つべて、すうと深く呼吸して眼を細めた。古代の閨秀けいしゅう作家、紫式部の心境がわかるような気がした。
ろまん灯籠 (新字新仮名) / 太宰治(著)
大日如来くだんの四仏を供養せんとてこうとうの四菩薩を流出す(外四供養そとのしくよう)、とは、〈不空成就仏、塗香を以て供養す、釈迦穢土に出で、衆生を利益せんと、濁乱の境界に親近す
しかし初音はつねこうを二条行幸の時、後水尾ごみずお天皇にたてまつったと云ってあるから、その行幸のあった寛永三年より前でなくてはならない。しかるに興津は香木こうぼく隈本くまもとへ持って帰ったと云ってある。
「そのお方様は黄金こがねの雨も白銀しろがねの雨も降らせませぬ。総じてその方のお話は風雅の道ばかりでございます。例えばこう、和歌の話、糸竹いとたけの道にもお詳しく、曲舞くせまいもお上手でございます」
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
仏壇は大きい立派なもので、ともされた蝋燭ろうそくの光に、よくみがかれた仏具や仏像が金色にぴかぴかときらめいていた。木之助はその前に冷えたひざそろえてすわると、かれたこうがしめっぽくにおった。
最後の胡弓弾き (新字新仮名) / 新美南吉(著)
「塩加減が悪いから塩をまいていただきたい」「こうの物をつけていただきたい」
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
先を争って天幕テントりまわすと、手に手におこういたり、神符しんぷを焼いたりして崑崙山神の冥護めいごを祈ると同時に、盛大なお茶祭を催して、滅亡ほろびた崑崙王国の万霊を慰めるのだそうですが
狂人は笑う (新字新仮名) / 夢野久作(著)
じいさんは毎日時刻を計って楽屋の人たちの註文ちゅうもんをききに来た後、それからまた時刻を見はからって、丼と惣菜そうざいこうものを盛った小皿に割箸わりばしを添え、ついぞ洗った事も磨いた事もないらしい
勲章 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
机竜之助の前には島田虎之助が衣紋えもんの折目正しく一炷いっちゅうこういて端坐しているところへ、自分は剣を抜いて後ろからねらい寄る、刀を振りかぶると前を向いていた島田が忽然こつぜんとこっちへ向く
大菩薩峠:02 鈴鹿山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
田中から聞いた、彼女の優しい戒名かいみょうを刻んだ石碑せきひの前に、花を手向たむこうをたいて、そこで一こと彼女に物が云って見たい。そんな感傷的な空想さえ描くのでした。無論これは空想に過ぎないのです。
モノグラム (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
そうして室内しつないなにこうゆらすようにとニキタにめいじて立去たちさった。
六号室 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
貧しい人々は、戸口の前に集まってもらった金を分かちながら、ふたりを祝福した。至る所に花がかれていた。家の中も教会堂に劣らずかおりを放っていた。こうの次に薔薇ばらの花となったのである。
芥子焼けしやきこうのよくしみこんだ袈裟けさをとり出して、庄司にわたし
におやかにこうのたきこめた手紙には、これまた類い稀な筆跡で
あるかなしかの風にゆらいで、こうのけむりがゆかしくただよう。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
こうべましょう。」
戦雲を駆る女怪 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
こうばしい花橘はなたちばなの樹
こうの煙、お経の合唱、梵鐘ぼんしょうの伴奏に、次第に時刻がたつと庭一杯に集まった群衆は、真昼の暑さも忘れて、虫のようにうごめきます。
寝室ねまへ戻って、何か思切ったような意気込で、早瀬はいきおいよく枕して目を閉じたが、枕許のこうは、包を開けても見ず、手拭の移香でもない。
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
女の振り向いた方には三尺の台を二段に仕切って、下には長方形の交趾こうちはちに細きらんるがんとして、こうの煙りのたなびくを待っている。
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
一人がなよやかな気高いこうを贈るために女房連に頼み入れば、一人は七種香しちしゅこうあたい高いものを携えてこれを橘の君に奉れと申し出るのであった。
姫たちばな (新字新仮名) / 室生犀星(著)
まどからさしてくるぼーっとした明るみのなかに、こうけむりがもつれ、ろうそくの火がちらついて、僧正そうじょういのりの声はだんだん高まってきました。
活人形 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)