黄瀬川きせがわ)” の例文
……坊ちゃん、今橋を渡ったでしょう? あれが黄瀬川きせがわで、頼朝と義経が対面したところがこのすぐ彼方むこうに残っています。
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
いや、御鷹おたかをあつかわせては、黄瀬川きせがわ弁馬は、一人前じゃろう。——だが、まるで貴様は、世間を知らんじゃないか。
御鷹 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一方、頼朝は鎌倉を立ち、足柄山を越えて駿河国黄瀬川きせがわに着いた。甲斐、信濃の源氏勢が馳せ加わり、浮島うきじまで勢揃いした時には二十万騎になっていた。
その後、肥後の白川しらかわ、都近くは江口、神崎かんざき、東海道の駅々には、大磯、黄瀬川きせがわ、池田などに名をうたわれた。遊女屋としてややたいを成しかけたのは、播州ばんしゅう室津むろつあたりであろうとのことです。
富士を見ると曾我兄弟を思い出すが、あの麓を流れた黄瀬川きせがわの岸で、生まれて始めての対面をした兄弟は、後に不愉快な仲たがいをしているために、古蹟の感興を割引してしまったのである。
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
その日、黄瀬川きせがわの宿駅には、何万という兵馬がたむろした。もちろん宿中にそんな人員が泊りきれるわけではない。頼朝の宿舎を中心として、畑にも野にも河原にも、それぞれ陣を分っていたのである。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)