金森かなもり)” の例文
徳大寺とくだいじ家の密使をはじめ、加担の西国大名、筑後ちくご柳川やながわ大洲おおず加藤かとう金森かなもり鍋島なべしま、そのほかの藩から、それぞれの使者が徳島城に集まって
鳴門秘帖:05 剣山の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして、それから一年ほど経って金森かなもりのみすずと半三郎との、婚約をまとめたのだ。金森主膳は八百石の書院番、すなわち父の上役であり、みすずはそのとき十三歳であった。
あだこ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
今から三百年余り以前に、金森かなもり家の家臣佐藤六左衛門という強い武士さむらいがやって来て、主人の命令だから是非この社のある所に城を築くといって、御神体を隣りの村へうつそうとした。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
其後そのご幾多の変遷を経て、豊臣氏時代から徳川氏初年までは金森かなもり氏ここを領していたが、金森氏が罪をてから更に徳川幕府の直轄ちょっかつとなって、所謂いわゆる代官支配地として明治まで引続ひきつづいて来たのである。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
なお金森かなもりに充分の枝葉しようを茂らせ、國綱に一層のとぎを掛け、一節切に露取つゆとりをさえ添え、是に加うるに俳優澤村曙山さわむらしょざんが逸事をもってし、題して花菖蒲はなしょうぶ沢の紫と号せしに、この紫やあけより先の世の評判を奪い
北陸経営の重鎮じゅうちんは、ここに定められた。そのほかの布置を見ると、金森かなもり不破ふわ佐々さっさなどの諸将は各郡を配分し、前田又左衛門利家としいえにも、二郡を分け与えた。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)