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かなもり
其後幾多の変遷を経て、豊臣氏時代から徳川氏初年までは
金森氏ここを領していたが、金森氏が罪を
獲てから更に徳川幕府の
直轄となって、
所謂代官支配地として明治まで
引続いて来たのである。
尚金森に充分の
枝葉を茂らせ、國綱に一層の
研を掛け、一節切に
露取をさえ添え、是に加うるに俳優
澤村曙山が逸事を
以てし、題して
花菖蒲沢の紫と号せしに、この紫や
朱より先の世の評判を奪い
北陸経営の
重鎮は、ここに定められた。そのほかの布置を見ると、
金森、
不破、
佐々などの諸将は各郡を配分し、前田又左衛門
利家にも、二郡を分け与えた。