重能しげよし)” の例文
阿波民部重能しげよしの息、田内でんない左衛門教能のりよしとやらは、伊予の河野を討ち取りに参り、河野は討ちもらして昨日首百五十ばかりを先に屋島に送り届けた上
「ほかでもないが弟。近々に、上杉重能しげよしがお供して、母者をこれへおつれして来るぞ。……どうだ、うれしかろうが」
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
清水宗治むねはるが高松落城の際の遺言状に算用の重んずべきことを記したこと、秀吉が算家毛利重能しげよしを明に留学させたというのは事実かどうか知らぬけれども、ともかく重能を登用したこと
すなわち、畠山庄司重能しげよし、小山田別当有重、宇都宮左衛門朝綱ともつならである。いよいよ平家一門都落ちということになり、彼らの処置が問題になった。
ほどなく、直義ただよしがみえ、直義についている上杉伊豆守重能しげよしそのほかもみな集まって、急遽、宵のくちの軍議となった。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
船を連らねて四国に渡れば、阿波あわの民部重能しげよしの指図で讃岐の屋島の磯に形ばかりの内裏や御所が急造された。
細川顕氏あきうじ、上杉重能しげよし、畠山国清などで、それに少弐頼尚しょうによりひさも、陣のさきに立っていた。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「左様でござりますな。阿波民部重能しげよしの弟桜間介能遠さくらまのすけよしとおなどがおりますが」
二家とは、ほかならぬ上杉伊豆守重能しげよし、畠山大蔵少輔おおくらしょうゆう直宗。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この時、阿波民部重能しげよし