“しげよし”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
重能43.8%
重喜31.3%
重休12.5%
成善6.3%
重善6.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
「ほかでもないが弟。近々に、上杉重能しげよしがお供して、母者をこれへおつれして来るぞ。……どうだ、うれしかろうが」
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこから続いて川下へ数丁、塀囲へいがこいの別廓べっかくをなして、宏壮な棟を望ませている所は、阿波守重喜しげよしが大阪表の別荘——いわゆる安治川のお下屋敷。
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
鳴海の方面へたむろして居た佐々政次、千秋季忠すえただ、前田利家、岩室重休しげよし等は信長が丹下から善照寺に進むのを見て三百余人を率いて鳴海方面の今川勢にかけ合ったが衆寡敵せずして、政次、重休
桶狭間合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
渋江の家には抽斎の歿後に、既にいうように、未亡人五百、くが水木みき、専六、翠暫すいざん、嗣子成善しげよしと矢島氏を冒した優善やすよしとが遺っていた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
こと成善しげよしが江戸でもまだ少かった蝙蝠傘かわほりがさを差して出ると、るものがの如くであった。成善は蝙蝠傘と、懐中時計とを持っていた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
次に日録に始て意篤いとくと云ふものの来訪が書してある。「十五日。雨。意篤来。」按ずるに川村意得重善しげよしの子、長を重監しげあきと云ひ、仲を新助退しんすけたいと云ひ、季を敬蔵重文けいざうしげぶみと云ふ。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)