トップ
>
藩屏
>
はんぺい
ふりがな文庫
“
藩屏
(
はんぺい
)” の例文
追って家督相続をさせた後に、恐多いが皇室の
藩屏
(
はんぺい
)
になって、身分相応な働きをして行くのに、基礎になる見識があってくれれば好い。
かのように
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
一旦自分に対して深刻の敵意を
挟
(
さしはさ
)
んだ
狠戻
(
こんれい
)
豪黠
(
ごうかつ
)
の佐々成政を熊本に封じたのは、成政が無異で有り得れば九州の土豪等に対して成政は我が
藩屏
(
はんぺい
)
となるので有り
蒲生氏郷
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
均等のとれない物は、いかに、それ一箇が、得難い質でも、
藩屏
(
はんぺい
)
の一石とするわけにはゆかない。
宮本武蔵:07 二天の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
しかも、徳川の御三家として、その
藩屏
(
はんぺい
)
たるべき、水戸の徳川
光圀
(
みつくに
)
の好学は、大日本史の編修となり、其の中に現はされたる大義名分の精神は、勤皇思想の温床となつてゐるのである。
二千六百年史抄
(新字旧仮名)
/
菊池寛
(著)
皇室の
藩屏
(
はんぺい
)
もここに土地をもつべきであると華族によびかけて、官有地からめぼしいところを払下げ、
東鷹栖
(
ひがしたかす
)
村の松平農場、深川の菊亭農場、
雨龍
(
うりゅう
)
の戸田農場や
蜂須賀
(
はちすか
)
農場そのたがうまれた。
望郷:――北海道初行脚――
(新字新仮名)
/
服部之総
(著)
▼ もっと見る
諸王にして悦ばざるときは、宗家の
枝柯
(
しか
)
、皇室の
藩屏
(
はんぺい
)
たるも何かあらん。
嗚呼
(
ああ
)
、これ罪斉泰にあるか、建文帝にあるか、
抑
(
そも
)
又遺詔にあるか、諸王にあるか、
之
(
これ
)
を知らざる也。
運命
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
漢中は土壌
肥沃
(
ひよく
)
にして生産物多く、民はまた盛んにして、まことに国の
藩屏
(
はんぺい
)
と申すべきところ。万一敗れて、これが敵の手中におちては魏のうち震動するに違いありません。
三国志:09 図南の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
また、新たに分国二十ヵ国に、新進の城主を取り立て、畿内五国を
藩屏
(
はんぺい
)
とし、この五月から大坂に大築城を
企画
(
きかく
)
して、年内にはそこへ移る予定——ということなども発表していた。
新書太閤記:10 第十分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
巍の言に
曰
(
いわ
)
く、我が高皇帝、三代の
公
(
こう
)
に
法
(
のっと
)
り、
嬴秦
(
えいしん
)
の
陋
(
ろう
)
を洗い、諸王を
分封
(
ぶんぽう
)
して、
四裔
(
しえい
)
に
藩屏
(
はんぺい
)
たらしめたまえり。
然
(
しか
)
れども
之
(
これ
)
を古制に比すれば封境過大にして、諸王又
率
(
おおむ
)
ね
驕逸
(
きょういつ
)
不法なり。
運命
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
さすれば、すでに立派な朝廷の
藩屏
(
はんぺい
)
たる一人ではおざらぬか。しかるに、なんで区々たる他人の領に奔命し、つまらぬ小人の好言に追われていたずらに心身を疲らせ、空しく大事なお年頃を
三国志:06 孔明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
羽将軍には、ご不満らしいが、五虎大将軍の職制は、要するに、
王佐
(
おうさ
)
の
藩屏
(
はんぺい
)
として、国家の必要上設けられたものであって、漢中王とあなたとの情義や信任の度をあらわしたものではありません。
三国志:09 図南の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“藩屏”の意味
《名詞》
囲い。まがき。
皇室や王家などを守護すること。また、その人。
直轄地。
(出典:Wiktionary)
藩
常用漢字
中学
部首:⾋
18画
屏
漢検1級
部首:⼫
9画
“藩屏”で始まる語句
藩屏論