耆宿きしゅく)” の例文
この年詩壇の耆宿きしゅく菊池五山が八十歳の春を迎えたので、枕山を始めとして江戸の詩人はいずれも寿言よごとを賦してこれを賀している。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
二十はたちか二十一で一躍して数年以上の操觚そうこの閲歴を持つ先輩を乗越して名声を博し、文章識見共に当代の雄を以て推される耆宿きしゅくと同格に扱われた。
美妙斎美妙 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
その時己の記憶の表面へ、力強く他の写象を排して浮き出して来たのは、ベルジック文壇の耆宿きしゅく Lemonnierルモンニエエ の書いた Audeオオド が事であった。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
今から三百五、六十年の昔、伊香保温泉に近い水沢観音の床の下に、仙公と呼ぶ狸界の耆宿きしゅくが棲んでいた。
純情狸 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
仙台坂の山本麻渓宗匠、石州怡渓派の耆宿きしゅくで随一の学者だけに教授も厳格、随ってお弟子が少なかった。『茶道宝鑑』や『茶家年中行事』など有益な著述もある。
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
英国文壇の耆宿きしゅくたるところのアーサー・シモンズは是に就いて次のような批評を下したことがあった。
喇嘛の行衛 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
が、ここに名告るはおしかりし。与五郎老人は、野雪やせつと号して、鷺流名誉の耆宿きしゅくなのである。
白金之絵図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
短い紙面に複雑な内容を盛って、すらすらとさばいてゆく手際に至っては、探偵小説界に、小酒井、江戸川両耆宿きしゅくをはじめ新人少なからずといえども、氏の右に出ずるものはまずなかろうと思う。
K君は、名をいえばすぐ分かる詩壇の耆宿きしゅくで、今もいよいよ健在であるが、笑福亭の方はたしか戦争中の強制疎開でなくなってしまった。秘画彫りし板戸も、その時悠久にこの世から消え果てたろう。
艶色落語講談鑑賞 (新字新仮名) / 正岡容(著)
この年四月十三日に詩壇の耆宿きしゅくを以て目せられていた館柳湾たちりゅうわんが目白台の邸に没した。年をうけること八十三である。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
美妙は実に純文学を代表して耆宿きしゅく依田百川よだひゃくせんと共に最始の少数集団にくわわっていたので、白面の書生が白髯の翁と並び推された当時の美妙の人気を知るべきである。
美妙斎美妙 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
以来、春秋二季に星ヶ岡または寒翠園で大会が開かれ、各流の耆宿きしゅくが六、七カ所の茶席を担当してそれぞれ特色を示し、茶道の真趣味を発揮して斯界に貢献するところが多かった。
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
多く給せられて早くめられんよりは、すくなく給せられて久しく勤めたい。四十円で十分だといった。局長はこれに従って、特に耆宿きしゅくとして枳園を優遇し、土蔵の内に畳を敷いて事務を執らせた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
この二家と並んで天保の頃江戸詩人中の耆宿きしゅくを以て推されていたものは、目白台めじろだい隠棲いんせいした館柳湾、その弟巻菱湖まきりょうこ、下谷練塀小路の旗本岡本花亭おかもとかていの諸家である。花亭もまた竹渓と相識っていた。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)