美作守みまさかのかみ)” の例文
又三郎は鷲津松隠の末子でこの年三十七歳、枕山と同庚どうこうである。またこの時の下田奉行は伊沢美作守みまさかのかみ政義、都筑駿河守つづきするがのかみ峰重である。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
去歳七月、貴国の使介船、国王の書翰をもたらし、我が肥前長崎港に到る。崎尹きいん伊沢美作守みまさかのかみ、受けてこれを江戸府に達す。我が主、親しくこれを読む。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
御門の左わきにある赤尾美作守みまさかのかみどのゝ屋形やかたへおのがれになりまして、やがてお腹を召されました。
盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
御面談申度もうしたき有之候これありそうろうみょう十一日朝五つ時当屋敷へ御入来ごじゅらい有之候よう美作守みまさかのかみ申付候此段得御意ぎょいをえ候以上
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
梅若葉の下から、佐渡の弟の美作守みまさかのかみが独り語のようにいった。燈籠とうろうを入れに出たのである。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
九年には美作守みまさかのかみに転じて小普請支配になつてゐる。ついで政義は十年三月に浦賀奉行になつて、役料千石を受けた。十三年三月に更に長崎奉行にうつされて、役料四千四百二俵を受けた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
松平美作守みまさかのかみ支配、天文方見習御書物奉行兼帯渋川六蔵、甲斐守家来本庄茂平次、金座お金あらため役後藤三右衛門、並びに中山法華経寺事件にて病死の体でおいとまを賜わった本性院伊佐野のつぼね、御側役八重
顎十郎捕物帳:01 捨公方 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
林佐渡守、弟の美作守みまさかのかみ、そして柴田権六勝家などの重臣が、それだった。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)