紫宸ししん)” の例文
にまのあたりに見奉りしは、二四紫宸ししん清涼せいりやう御座みくら朝政おほまつりごときこしめさせ給ふを、もも官人つかさは、かくさかしき君ぞとて、みことかしこみてつかへまつりし。
紫宸ししん清涼せいりょう弘徽殿こきでんなどになぞらえられていた所の一切の御物ぎょぶつ——また昼の御座ぎょざの“日のふだ”、おん仏間の五大尊の御像みぞう
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
摂政関白以下の公卿殿上人からも、丁重にもてなされ、清涼紫宸ししんの豪華な宮殿をわが家として、歓楽に明け暮れる生活を送っておりました。それが、寿永の秋の始めでございました。
「……いまは幕府に追われて都門を捨て、紫宸ししんひさしもない身であった。たのむ木蔭の宿は、これだろうか」
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
皇居はいま、二条の里内裏さとだいりにあるので、紫宸ししん清涼せいりょうきざはしではないが、御簾みすちかく彼を召されて、特に、賜酒ししゅを下され、そして音吐おんとまぎれなく、帝じきじきのおねぎらいであった。
清涼せいりょう紫宸ししんの皇居とちがって、ここは広いといっても、もと西園寺実氏さねうじの私邸であった町なかの館である。何につけお耳うるさい。いつもそれには気をつかっている三位ノ局廉子やすこがすぐ言った。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)