清兵衛せいべえ)” の例文
旧字:清兵衞
宍戸備前守ししどびぜんのかみは、わずかに八人に守られて、もうにの覚悟かくごで戦っている。そこへ、かけつけたのは清兵衛せいべえで、大声にさけんだ。
三両清兵衛と名馬朝月 (新字新仮名) / 安藤盛(著)
これは享和きょうわ二年に十歳で指物師さしものし清兵衛せいべえの弟子となって、文政ぶんせいの初め廿八歳の頃より名人の名を得ました、長二郎ちょうじろうと申す指物師の伝記でございます。
名人長二 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
……食事のしたくをして、とぼんとたばこを喫っていた老下僕の清兵衛せいべえは、主人の帰って来たけはいを聞きつけ、慌てて漂っている煙を手でき消しながら立った。
(新字新仮名) / 山本周五郎(著)
しかし成善は念のために大参事西館孤清にしだてこせい、少参事兼大隊長加藤武彦たけひこ二人ににんを見て意見をたたいた。二人皆成善は医としてるべきものでないといった。武彦はさき側用人そばようにん兼用人清兵衛せいべえの子である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
と、清兵衛せいべえを引き起こそうとするのを見た朝月は、いきなり一人ひとりかたさきをくわえ、空中にほうり上げ、さらに二人ふたりをけつぶした。
三両清兵衛と名馬朝月 (新字新仮名) / 安藤盛(著)
津軽順承ゆきつぐは一の進言に接した。これをたてまつったものは用人ようにん加藤清兵衛せいべえ側用人そばようにん兼松伴大夫かねまつはんたゆう、目附兼松三郎である。幕府は甲冑を準備することを令した。然るに藩の士人のくこれを遵行じゅんこうするものは少い。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
清兵衛せいべえが、残念でたまらなかったのは、まだ一度も、よき敵の首をとらず籠城ろうじょうすることであったが、こればかりはどうすることもできなかった。
三両清兵衛と名馬朝月 (新字新仮名) / 安藤盛(著)