海嘯かいしょう)” の例文
海嘯かいしょうについては猶更である。大阪では安政の地震津浪で洗われた区域に構わず新市街を建てて、昭和九年の暴風による海嘯の洗礼を受けた。
颱風雑俎 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
この時月の引力に依って起った大海嘯かいしょうは、たちまちにしてその半数以上の人命を奪い、次で宏大なる同盟会議所も、又激浪の呑む所となって仕舞ったのである。
太陽系統の滅亡 (新字新仮名) / 木村小舟(著)
ことしの初夏の頃から、僕のこの若いアンテナは、つてなかったほどの大きな海嘯かいしょうの音を感知し、震えた。けれども僕には何の策も無い。ただ、あわてるばかりだ。
パンドラの匣 (新字新仮名) / 太宰治(著)
されば南シナ海の低気圧は岐阜ぎふ愛知あいちに洪水を起こし、タスカローラの陥落は三陸に海嘯かいしょうを見舞い、師直もろなおはかなわぬ恋のやけ腹を「物の用にたたぬ能書てかき」に立つるなり。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
御機嫌をとらずともたたりをしないことが分かっているから。之に反して、悪神は常に鄭重に祭られ多くの食物を供えられる。海嘯かいしょうや暴風や流行病は皆悪神の怒から生ずるからである。
南島譚:01 幸福 (新字新仮名) / 中島敦(著)
八月二十五日は風雨と海嘯かいしょうとの江戸を襲った時である。雨は二十三日より降りつづいて二十五日の夜に至り南風と共に次第に激しく遂に築地つきじ本願寺の堂宇をも吹倒すほどの勢となった。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
正兵衛といえるはこの村にて豪家ものもちの一人に数えらるる程の農民なるが、今しも三陸海嘯かいしょう義捐金ぎえんきんを集めんとて村役場の助役はきたりつつ、刀豆なたまめを植えたる畑の中に正兵衛を見つけて立ちながら話す。
厄払い (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
風の強さの程度は不明であるが海嘯かいしょうを伴った暴風として記録に残っているものでは、貞観よりも古い天武天皇時代から宝暦四年までに十余例が挙げられている。
颱風雑俎 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
その没したのは安政三年丙辰八月二十五日、江戸の市街が風雨海嘯かいしょうの害を被ったその夜である。この事もわたくしは成島柳北の『硯北日録けんぼくにちろく』と題せられた日誌を見て初めて知ったのである。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)