泰衡やすひら)” の例文
それからまた、文治ぶんじ五年九月に奥州の泰衡やすひらがほろびると、その翌年、すなわち建久元年の二月に、泰衡の遺臣大河次郎重任おおかわじろうしげとう(あるいは兼任かねとうという)が兵を出羽でわに挙げた。
かたき討雑感 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
鎮守府将軍藤原清衡きよひらが、奥州の豊田館から平泉に館を築いて移ったのは堀河天皇の御宇ぎょうで、今からおよそ八百四十年前、それから基衡もとひら秀衡ひでひら泰衡やすひらと四代、平泉館に住んで
水中の宮殿 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
朝命にたてをついて、安倍の頼時や、平泉の泰衡やすひらの二の舞を仕て見たところが、骰子さいの目が三度も四度も我が思う通りに出ぬものである以上は勝てようの無いことは分明だ。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
いよいよ泰衡やすひらが背き和泉夫婦が忠死をとげて、主従わずかに十三人で、寄手の三万余騎と激戦するほどの大切な日に、あいにくその朝から近きあたりの山寺を拝みに出て籠城の間に合わず
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
とありと引いた。文中に見る基成は泰衡やすひららの外祖父で義経戦死の節自殺した。